6月16日 まさよ日記

2011-06-16

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イタリアをはじめ多くの国々では原子力発電所の中止を決め、あるいは中止の方向で議論しています。それから考えても、東京電力の事故の重大性を図り知ることができます。

原爆で命を落とした全ての子供の慰霊の象徴として、折り鶴の少女として知られるヒロシマの禎子の像(原爆の子の像)があります。禎子の死は内部被曝が原因の白血病によるものです。にもかかわらず、日本では内部被曝は被曝として考えない法律になっているのです。

それは世界で唯一の被爆国であるがゆえの悲劇です。原爆による直接外部被曝の犠牲者が多数出たため、時間経過によって被害がでるため因果関係が立証しにくい内部被曝は放置されました。これを対象外にし、対象を狭く限定し、被爆者救済を推し進めたてきたのです。広島・長崎の被爆者でさえも、内部被曝の裁判で勝訴したひとにぎりの人の実態しか明らかにされず多くの人が泣き寝入りしてきました。それどころか、内部被曝の疑いがある家族がいるというだけで、「遺伝する」「穢れだ」という差別をうけてきたのです。「優生思想」の差別意識の外圧に負けてしまい、多くの人が内部被曝をひた隠しに隠し続けてきました。福島の被曝では無論、防げるはずの内部被曝が東電・政府の責任逃れ・隠蔽で拡散することは食い止めなければなりません。内部被曝への「遺伝する」「穢れだ」という差別の外圧だけでなく、被害の悲惨さを訴えれば訴えるほど、障害を持って生まれる我が子は、親にしてみれば 「原発さえなければ健常であったはずの」「本来あってはならない」存在として見る眼差しを強めることになるでしょう。これでは被曝の子供を「不憫」で「役に立たない」ものと決めつける(優生思想的)先入観にとらわれていくことになります。なぜなら加害・被害関係によって「責任」を問うということ自体が、障害を「害」とする事で成り立つ主張だからです。

内部被曝してしまった人は、原爆症とともに生きる人です。そういう人(子供達自身)が生きやすい社会を実現することが、人類・社会の責務であるとともに、電力会社に課せられた社会的責任です。そためには、当事者の自らリスクを冒す自由を含めた立ち上がりが不可欠です。彼らの声を「守ってあげる存在」というような「被害者の悲鳴」に押し込める周囲の態度と厳しく対峙しなければなりません。私たちが「真実の黙殺」と戦うということは、同時に優生思想とも戦うことになります。

このことを踏まえた上で、福島県の障害者の仲間が、原発と津波でどういう情態におかれたか想像してみてください。津波の映像は数多く放送され、身動きの取れない人が無残に流されただろうことは誰もが思い浮かぶでしょう。

南相馬市に行ったとき、実に生々しい話を聞きました。

津波の被害の境界線にあたるところに老人介護施設がありました。そこでは実際にベッドで寝たまま身動きの取れない老人が次々とマットレスごとプカプカ浮いたまま波にさらわれていったのです。それを屋根の上まで逃げ延びた住民や近くの人が見ていました。ただ見ているしかなかった人の中には、同じ施設の利用者で少し歩ける人がいたかもしれませんし、職員もいたでしょう。 自分で歩けない障害者の多くは津波の犠牲になったと想像がつきます。その場にいた人は自分にいろいろ言い訳をしても「見殺しにした」という事実はそれによる罪悪感や心の傷は深まるばかりでしょう。あまりの辛さに、中には逆に、かえって優生思想にこりかたまってしまう人もいるでしょう。なぜなら、自分で動けなかったのだからそれは誰のせいでもないその人自身の責任だった、そう思うことで自分の生き残りを合理化できる反面、ますます「動けなくなったら人間おしまいだ」と自分を追い込んでしまうからです。

しかし、原発の放射能汚染はさらに悲惨な「見殺し」の事実を突きつけています。あたりまえのことですが、強制避難区域の半径20kmは、つまり海岸線では約40kmになります。津波の被害は海岸線から4―5kmの帯状の地域におよびました。

        上空をヘリが飛ぶことさえなかった、自衛隊も立ち入らなかった  40kmもの沿岸地域で起こっただろうことを想像してみましょう。        マスコミ やそこに住む地域の住民さえ、立ち入らなかった「見捨てら  れた40km」に本当に人は誰も生存していなかったのでしょうか?     宮城や岩手の被災地での救援活動で救われた命があるのに、それ  がこの40kmの海岸線の4-5kmにおよぶ帯状の地域では、誰一  人救われなかったのです。宮城や岩手の被災地では、かろうじて生  き延びた人が、この40kmの沿岸では、3ヶ月も放置された今どう  なっているのでしょうか。みんな餓死しているに違いありません。自宅  の中で助けを求めて耐えていた障害者や子供たちや老人も、みん  な誰からの手も差し伸べられないまま、次々と命を落としていったの  です。「きっと、誰かが助けに来る」と信じて疑わず、くる日も来る日も天を仰ぎ続けていた人がいただろうことは、いくら目をそむけたいことでも、直視しなければならない事実です。強制避難区域で津波の被害にあった障害者はこのような状態で見捨てられ続けています。

しかも、避難区域に指定されただけで外傷もなかった多くの障害者でさえ、国の方針によって、一般の人のいる避難所から何の説明や同意もなく強制的に他府県の施設へ収容されていったのです。いままで、まがりなりにも地域であたりまえに暮らしてきたのに、「命を守る」という建前で、見も知らない施設へ、定員オーバーなのを無理に押し込まれて、そこでの暮らしがどのようなものになるのか? 「障害者のためだ」といって隔離収容してきた過去の歴史を知る者にとって、それは火を見るより明らかです。

収容施設では「あなたのため」という謳い文句で、もともと一般より劣るからと排除された入所者の潜在的な劣等感を利用し、「手が掛からない」「健常者並みに出来る」ことを競わせているのです。内部での入所者同士の優劣の序列が生活全般に浸透し、厳しい縦社会を形成しているので、慢性的な介護不足でも施設が運営できる構造になっています。そこに、定員オーバーで、「福島」(5月30日まさよ日記2 で前述のように福島=放射能汚染と隠然と忌避される)から突然やってきた人が喜んで受け入れられるとは思えません。

実際に、自閉症の被災者が移転させられた先の千葉県では、施設から飛び出して溺れて亡くなるという痛ましい事件も起きています。 理由もわからないまま連れて来られた慣れない環境、孤立やそこでの強い人間関係ストレスが、震災後続いていた不安に拍車を掛ければ、パニック状態に陥っても不思議はないと想像できます。

原発に至近の火力発電所も津波被害



優生思想の残虐さは、こういう形でも「見殺し」を人々に強制しているということにあります。

汚染の事実の隠蔽、見殺しの黙殺、それによって「人間は動けなければおしまい」という風潮に隠然と拍車がかけられ、優生思想は不可視化しつつ根深く浸透しています。これこそが、バリアのない(accessible),手が届きやすく(affordable)維持可能な(sustainable)社会(society)の実現を妨げ続けていくことになるのです。

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