7月22日 被災地への障害当事者による支援とは?

2011-07-23

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7月22日 ゆめ風基金(阪神淡路大震災の時から被災地障害者支援のために設立された基金)の報告会に行ってきました。宮城と岩手の方は、送迎車で送迎をして忙しく充実した活動をしているという報告でした。福島に何回も訪問した経験から、原発の避難地域では、地域丸ごとの避難なのであたりまえに障害者も存在していたけれど、津波の後の被災地域の沿岸部ではほとんど障害者の生存者は見つかりませんでした。だから、「宮城と岩手にだけ、そんなに忙しく送迎したりするほど、障害者が津波の被災地の沿岸地域にたくさんいるのだろうか?」と不思議に思い質問したら、やはり想像通り「障害者はほとんどいなくて、対象者の大多数は高齢者です」という答えがかえってきました。だから、これは「障害者への救援活動」だと思って出資した人たちの意図からすると、微妙な「ずれ」が生まれるのです。厳密に言えばあくまでも「障害者として自覚した当事者のための救援活動」であるべきで、高齢者の多くに障害当事者としての自覚がない事は無視できないことなのです。言葉にすればわずかの「ずれ」ですが、この微妙に角度がずれたまま、そのまま突っ走るとやがてはとんでもなく違った方向へ行くことにもなりかねません。とっても大切な時期なので、そして、今こそ障害者の当事者としての社会的存在意義をひときわ輝かせるべき時なので、あえてここで強調しておきたいと思います。

わたしも、義理の父や実の母の介護をした経験から、「老人」はだれでも、たとえ自分が動けなくなっていても「自分はあんたら(障害者)とは違う」という意識がぬぐいがたく存在することを、身にしみています。そして、この「上から目線」自体が、当の「老人」達自身を縛り付け・閉じ込め・苦しめ・やがて自殺(消極的自殺もふくめ)に追いやる元凶であることに、全く無自覚なのです。宮城や岩手の、この送迎のいるような「老人」たちは、ほとんどの場合もうすでに消極的自殺への階段を下り始めています。そう思ってつきあわないと、私たちのような「生まれてこの方、記憶にある限りずっと障害者」と同じようにつきあって安心していると、大きな落とし穴にはまるのです。この「老人」たちにこそ障害者として胸を張って生きていくように、当事者として、新しい人生を生まれ変わって生きていく自覚を持たせなければなりません。それこそ何十年も、どっぷりと浸かりきってきた五体満足万能主義(優生思想)を根底から覆す大仕事なのです。アメリカでは国民の1/5 が障害者だということが常識ですが、日本では高齢化率がアメリカのほぼ2倍なのに国民のたった5%しか障害者がいないと言って憚らないのですから。この国では障害は、いかにスティグマで、いかに少数派で、無かったことにしたい、抹消したい、忘れておきたい「不都合な実在」なのです。障害者を5%にするための狭い入り口の門番として医師に「重篤な」「困難」や「逼迫した」状態であることの「証明」をさせておいて、その「証明」をもって「有資格障害者」とするという、二重三重の「関所」をもうけて世界の常識からほぼ半世紀のあいだ鎖国を続けてきました。少数派ですから当然、限られた予算に押し込めることも容易です。でも国民の五分の一以上の問題であれば、一般会計の問題になりOpenな議論にさらされ、これまで隠し続けてきた「不都合な真実」があきらかになります。これは、3.11以降に福島県内に線を引き、そこから「安全」と「被曝」を恣意的に選んで、都合の悪い真実から目をそむけたいと諍った姿勢とまったく同じ「ふるまい」です. このような愚かな「その場しのぎ」は、かならず未来に大きな禍根を残すということを、日本の歴史は何回繰り返せばいいのでしょうか?

メインストリーム協会と夢宙センターの人たちが、介護者を2名つけて岩手に救援活動にこれから入るという報告がありました。これは実はとってもあたりまえのことで、もっと震災直後から障害者自身が多数現地に出向いて救援活動に関わる必要があったと思います。障害者の自立運動に健全者がはいり込み、健全者ペースで議論や物事の決定をすすめたり、代弁するということになれば、私たち障害当事者の主体性が疑問視されて当然なのですから・・・。私が以前に福島に白石さんの助っ人に入ったというと、障害者も健全者も口を揃えて「ええっ!!邪魔だったんじゃないの?」「行って何するの?」「足手まといにしかならないじゃないか?」という声がわきおこりました。そういう価値観・常識こそが障害者の主体性を圧殺し、健全者が必要で障害者は不要という社会意識を拡大再生産し続けていることに、はっきり気づくべきです。障害者の自立や救援活動に賛同して集められた資金は、当然のこととして、救援に行く障害者に必要な条件や介護費用にもっともっと使われるべきなのではないでしょうか? それこそが、国連の権利条約にある合理的配慮であり、こんなことさえ社会に定着させられないのでは、もはや日本に未来はありません!!!

 

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