飯舘村から始まった既視感(考)

2011-07-03

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1.障害者にしか解らない感覚

わたしが初めて福島県飯舘村を訪れた4月に、明日から避難区域に指定されるというのに、マスクも何の防護もなしに黄色の帽子をかぶってランドセルを背負った小学生達が平気で下校していました。その光景を見たとき、「大人達は何をしているのでだろう?」と感じた違和感、何故かむしろ驚きに似た不気味さ、居心地の悪さはずっと心に溜まったままです。最近のニュースで、わざわざフランスまで分析を頼んでやっと証明された福島市・伊達市のこどもたち15人全員の内部被曝の事実が報道されました。その報道にも再び違和感を感じました。誰一人口に出さなかったが原発事故の当初からそれくらいのことは誰にも「想定済み」のことだったはずではないか? 最近改めてそう考えてみて、飯舘村でのあの感覚がDeja-vuだったと気がつきました。多分、この感覚はわれわれ障害者にしか感じられないものです。「現実離れしたゴール」への「ありえない希望」だけを周囲からふき込まれ、いつも疑問への回答は先送りのままで、挙げ句には自分の姿さえ見失いかけてしまう、そういう苦い経験があるからこそ感じる感覚です。

2.回想 「現実離れしたゴール」

私の友人で、21歳の時に交通事故で脊髄損傷になった人がいます。事故後入院先の医師達に「私の足はどうなるの?」と聞きました。ところが、誰一人脊髄が再生しない事実には触れなません。むしろあえて誤解を生んでまで「希望」を持たせようとさえしていました。痙性の高い足首によく見られるクローヌスという、自分の意志とは関係なく反射によって小刻みに関節が震えてしまう現象を指さして、「足が動きましたよ!!」などと医師がいったのです。この現象が陽性兆候とよばれ中枢神経系に支障がある証拠と、後になって知るのですが、その時一切説明されなかったといいます。あたかも健常者に近づいて回復していると錯覚を植え付ける対応です。「都合の悪い事実は無かったことに」という日本人には馴染みの現実逃避的なメンタリティの現れでしょう。それが結果的には、自分で勝手に気づくまでほったらかしにして、長い時間を無駄にさせ、ずいぶん遠回りをさせたあげくに、大きな落胆を味合わせることになったのです。

しかし、いくら先送りにしても、いつかは向き合わなければならない現実があるのです。一方的な価値規範によって「希望がない」「厳しい現実」と決めつけない。そして、早くから「新しい旅立ち」の準備をさせるそういう態度は、日本では「冷淡」で「酷いこと」のように異端視されがちです。しかし、海外ではかなり実績があります。脊髄損傷者治療で有名なシェパードセンターという医療センターがジョージア州アトランタにあります。そこで権利擁護部主任を務め、自らも頸椎損傷者のマーク・ジョンソンは次のように語りました。

「退院前に家族を呼んで『今までの身体にこだわらず、これからの新しい身体での新しい人生』をまず家族が受け入れるよう指導する。その習得のため、病院近くのアクセシブルな民間アパートで家族と一緒に生活させて、これからの生活像を実証して自信をつけさせる。そのようにして、事故前に住んでいた地域で、障がい者としての新しい人生を、人間としての誇りを持ってエンジョイするパワーを培う。彼らの中には家族を持ち、パラグライダーやスキューバダイビングを楽しむ者も多い。」障がいに対するジメジメした忌避などものともせず、元の仕事に戻り、充実した人生を楽しんでいるのです。充実した人生の幕引きには、医療センターに自分の遺産の全てを献金したいと申し出る人が絶えず、その対応も権利擁護部の仕事といいます。

震災後の福島の障がい者はみな施設へ収容され、人生の成功者が生まれる芽が始めから摘み取られてしまいました。

 

3.回想 「がんばりすぎないための支援技術」

予後(これから先の自分がどうなるか)を冷静に見通し、実現可能な未来像を描かなければ、結果的には大きな禍根を残します。日本の脳性麻痺者の多くは「歩け歩け」という訓練のおかげで「ぎりぎりまで何にも頼らない」という精神態度を身につけてきました。制度としても、移動機器の給付は「失われた機能の補完」の範囲でしか許されないのです。だから、青年期から中年にかけ頸椎症などの二次障害で深刻に苦しんでいます。それとは対照的に、充分に歩ける状態で、はやくから電動スクーターなどを日常生活に取り入れているアメリカの脳性麻痺者では二次障害や頸椎症の深刻さは日本に比べ、ほとんど話題にならないほどです。

ピッツバーグ大学の支援技術センターCAT(Center for Assistive Technology)では、外国からきた滞在者にすぎない日本人の私に高機能電動車いすが給付されました。その処方にあたったロージー・クーパー理学療法士(現在所長)による「このまま放置すれば、過度の筋緊張のため痙性緩和治療が必要となる」「昇降機能が無ければ主婦として、棚の上の皿が取れず家事の遂行が困難となる」という合理的根拠付けの結果、カスタマイズされたフル電動シートの電動車いすが給付されました。米国では電動車いすのことを支援技術といい福祉用具とは言わないのです。社会が必要な対応をする事は、「福祉」ではなく、誰にでも平等に保障される「権利」のひとつなのです。実際、私は頸椎症でトイレへの移動もままならないこともありましたが、この給付のお陰で頸椎症もあまり進行せず、いまだに手術することもなく暮らせています。

個人の「がんばり」を前提にした結末が、かえって人々の人生を無力化することが多かった日本とは好対照です。東北人は「我慢強い」「がんばる」と言われます。この震災でもその「我慢」の対価が人生の無力化につながらないよう、誰にでも平等に保障されるべき「権利」を見守りたいと思っています。

4.直感とタテマエの狭間

そんなことを考えていると、東京に住んでいる人たちが、3月の原発爆発の直後に浄水場の水質汚染を心配して一時的にペットボトルの水を配給したり、自分の家の近くの土壌の放射線濃度を計測したり、子供が遊ぶ砂場の放射線濃度を計測している事をついつい重ね合わせてしまいます。

「無かったことに・・・」と現実逃避に躍起になっても、すでに大半の国民が漠然とした「最悪の未来」への不安を直感しています。放射能汚染の危機的状況への為政者達の「安全」強調一辺倒のタテマエ論など誰も本気で信じていません。かえって水面下で社会不安が広がり、根深い不信からやりきれなさを強めるばかりです。やりきれない感情の矛先が東電や原発に向かえばまだ健全ですが、悲しいかな、巨大で絶対的な力を前に、人々の感情の捌け口は、あろうことか本来被害者のはずの「フクシマ」へ向かいました。すでに「5月30日まさよ日記2」で報告した「フクシマ」差別のふたつのエピソードは、原発事故の不誠実な対応で増幅された社会不安の歪んだ表現ということができるでしょう。

原発事故直後に、諸外国が駐在員の家族をこぞって国外退去させたことを国の為政者達は風評に惑わされた「過剰反応」と苦しい言訳をしました。 また郡山市や福島市などの行政当局は、いちはやく放射能の「専門家」をたのんで講演会をして地域を歩き、ひたすら「安全性」のみを強調して回ってきました。その成果があり、多くの市民が避難や移住を思いとどまらせることに成功しました。しかし、今、その結果のツケは市民の側だけに確実に回ってきています。(反面、経済的に豊かな為政者達の家族は影響の想定されない地域に逃がれた人も多いとも聞きます。)

5.指定区域と内部被曝

日本政府の避難区域の20kmということ自体が適切と信じている人がどれほどいるのでしょうか? 実際、英米韓国が80km、シンガポール政府は半径100km圏内を危険区域として在留国民に立ち入り禁止を呼びかけているくらいです。(http://www.j-cast.com/2011/03/18090850.html

8月に出産を控え、4歳の子供をかかえる若い夫婦が郡山市近郊にいます。経済的に余程余裕がある人は別にして、自分の人生の文脈とは全く別の理由で、住み慣れた地域から移住するのは並大抵の決意ではありません。行った先での、住居や収入源の確保、それらが将来とも安定しているのか、今までの人生で公私ともども築いてきた人間関係ネットワークによる有形無形の社会的サポートが断ち切られる不安も無視できません。しかし夫婦はいろいろ悩んだ末、建てたばかりの新築住宅を捨ててでも、子供の将来の安心のために県外への移住について、苦渋の決断をしました。そして知人を頼り、被災者受け入れを標榜する西宮市に50棟あまりある空き家の公営住宅を申し込もうとしました。すると「全壊・半壊の被災者または避難指定区域以外は受け入れない」と拒否されたのです。

被曝では1日に直接大気や地面などで曝露する放射線量もさることながら、大気から呼吸器を通じたり、経口摂取された放射性物質の体内への蓄積の影響による内部被曝が長期帰結を視野に入れるときには大変深刻な問題だといいます。      5月17日 郡山で開かれた琉球大学名誉教授の矢ヶ崎克馬氏の「内部被曝を避けるために」の講演会を聞きに行きました。<http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-339.html> 矢ヶ崎克馬氏によると「被曝はDNAへの攻撃であり、細胞分裂が多い小さい子供や妊産婦は被害を受けやすいのです。だから、望むなら少しでも被曝の少ないところで育つことが、すべての幼い命の権利として、差別なく保障されてしかるべきです。」 にもかかわらず、世界中では非常識のような、都合が悪くなると10倍に跳ね上がる「安全」基準の避難区域指定を、幼子を抱える家族の移住を断る根拠にし、せっかく動こうと決意した人の出鼻をくじくのは、どう考えても納得できません。本気で自分たち共通の問題と捉えて支援する態度ではありません。

このように、被曝源を飛沫放射性物質のみでなく食品・飲水に含有される原発からの放射性物質にまで広げて想定するとき、関東はおろか日本で「安全」な場所などほとんど無いことに気がつきます。海産物や野菜でも間違いなく放射能汚染はすすんでいるようです。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/9547)7月になって、原発から60km離れた場所の牧草を食べ内部被曝した牛の肉が国内に拡散していることがとりざたされていますが、そもそも今秋収穫される稲だけが汚染されていないという事がありうるのでしょうか?避難区域以外の農家では県内全域で作付けされているのです。都合の悪いことを隠し続けた結果、何も知らされずに土を耕し、田植えする時に少なからず被曝していたかも知れない、農家の人たちがこれからどんな思いをするのか、そんな想像力さえ失ってしまったのでしょう。

そんな中で、津波で漁港を流された漁師達が、漁業の復興を目指し立ち上がっています。いまこそ勇気を持って、真実を直視した新しい旅立ちをこそ期待したいものです。「都合の悪い真実」を隠し続ける為政者達の巧みな口車には、くれぐれも用心しながら・・・・。

 

 

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