何重にも差別を受けた佐々木千津子さんの死を悼んで

2013-12-20

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今年65歳で亡くなった脳性まひ者佐々木千津子さんの生涯は何重にも差別を受けた歴史そのものとも言えるかもしれません。私が広島在住だったころ、すれ違ったかもしれない千津子さんの生い立ちは「忘れてほしゅうない」というDVDで販売されています。それを見た人も、これから見る人にも、ぜひ一緒に考えてもらいたい事があります。


広島市近郊(現在は広島市)で生まれた脳性まひ者の佐々木千津子さんが生をうけたのは、広島が被爆し、お父さんが妹(叔母さん)を探しに毎日のように爆心地まで通った2年後でした。佐々木さんは昭和22年12月28日生まれでしたが、学齢期になっても小学校に行くどころか、就学猶予・免除にされて、地域や社会から隔離された環境で同世代の友達もなく育ちました。彼女が成長して、お姉さんの結婚が決まった時に、障害をもった妹がいることが知れ、障害者は遺伝すると言われ結婚が破談になったそうです。当時の広島は折り鶴の少女で有名な白血病をはじめとする急性放射線症候群や死産・奇形児の増加などの放射能被害が伝えられる被爆地でした。だから当時の「内部被曝」の事実がタブーとされたり、「五体満足」以外の子供の存在を許さない内なる優生思想が、この話から覗い知ることができるかもしれません。

佐々木さんが姉さんの破断をきっかけに、自分のことを「家族一同の厄介者」と強く感じ、「これ以上迷惑をかけられない」と自宅に居たたまれなくなった事は容易に想像できます。高度経済成長期にさしかかった当時の日本は、「家から出るには、施設に入る事しか選択枝がない」「施設に入り国の庇護を受けられるのは幸福だ」と思い込まされた差別社会でもありました。今日の国連の権利条約や合理的配慮とは全く対極のような、誰も疑うことさえ許されない当時の社会全体の排除的な空気が、彼女に施設に入所する決意をさせました。当時は施設入所の条件に、生理の世話などの「余分な介助」の必要な者は入所を許可しない規則がありました。社会と隔絶した在宅生活で、女性の身体の仕組みについて全く無知な彼女は、「生理がなくなる」手術のリスクや「子供を産めなくなる事」に何の説明もないまま、入所のための条件として、何の疾患もない生殖器への違法な不妊手術をいともたやすく強要されてしまいました。その結果、子宮に放射線を長時間当てる処置によって被曝させられたのです。

被爆地で生まれたこと、障害を持っていたこと、家族も含めた偏見と差別、介護の手間を省くこ収容施設、義務教育も受けず、自分の性について知る機会もなく、地域から隔絶した生い立ち、さらに違法な不妊手術の被爆にいたるまで、何重にも差別を受けた彼女は今年65歳の若さで、急に亡くなったのです。

不妊の為のコバルト照射の後遺症で亡くなるまで身体中あちこちに痛みを伴い、莫大な量の薬を飲まないではいられなかったといいます。このあと、彼女は自分の一生涯のテーマとして、優生思想によって差別され、違法な不妊を行政組織ぐるみで強要された事に対し、怒りと事実確認・謝罪を訴え続けてきました。亡くなる日も優生思想の学習会に行った帰り道だったそうです。どういうわけか、子どもを産みたかった彼女が亡くなったのは(搬送先の病院で病室を空けるまで待たされた場所)、それは皮肉にも分娩室だったそうです。

佐々木千津子さんの主張は、「自分の生理の始末もできない女が堂々と生きているのがおかしい」という個人に対する攻撃に対して、生理は女として生きる上で当然のことで空気を吸うのと同じくらい当たり前で、これを「余分な世話」とするような介護側の意識を変える努力は本来社会の側の責任である。 この責任を自覚せず、個人の肉体に違法な危害を加えた罪を曖昧にしたままでは、結果として社会が障害者の生存を認めていないことになる、という点です。

違法な不妊手術を許さない佐々木千津子さんの魂が訴えている叫び(忘れてほしゅうない!)の根幹には、国連の障害者権利条約に明記されている、障害は個人の問題ではなく社会の側の問題だという認識があるのです。佐々木千津子さんの命懸けの叫びに耳を傾けるなら、心身の状態に関わらず誰も社会から排除しない仕組みを実現させる覚悟をもって、過去の違法な事実をウヤムヤにしないことが求められているのです。

広島に原爆が落とされた昭和20年8月6日以降、広島で障害児や奇形児が産まれるかもしれないと言われ、広島出身だと結婚の時に差別を受けたのには二重の差別構造があります。戦前戦中と「産めよ!増やせよ!」という教育で戦争要員(兵士・銃後の守り)を確保するのが国策でした。ナチスドイツがユダヤ人を虐殺する前に障害者虐殺をしていた歴史に見られるように、戦争が起こると「生産性のない」「役たたず」な者に生きる資格などないとされていました。貧困家庭では子殺し、裕福な家庭でも「座敷牢」に閉じ込められ世間の目を忍んで一生を終わるが当たり前でした。敗戦後にもその常識は変わるどころか、原爆投下後の被爆地で障害児が生まれようものなら、「遺伝」や「血の穢れ」として、当時は更に厳しい差別があったのも当然の成り行きでした。そして70年近く経った現在、原発事故後の福島で、またもや、「結婚出来ないかもしれない」とか「普通の子どもが産めない」と一部の人達によって言われています。「結婚出来ない」のは結婚後産まれる子どもが障害児かもしれないという恐怖が脳裏に浮かんでのことではありませんか?「普通の子ども」というのは「五体満足」な赤ちゃんを意味しているのではありませんか?それなら、障害児や奇形児は生まれながらに不幸を背負っているのでしょうか?私達障害者の事を「あってはならない存在」と思う根強い優生思想をもちながら、無自覚な人達が70年近く確実に再生産されてきたのです。

だからこそ、その原点である原爆被爆地の当時をしっかり振り返ることを忘れては、今日の私たちの本当の姿は見えないのでしょう。

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