12月15日「私たち抜きに、福島のことを決めるな!」 IAEA抗議アクションに行ってきました。

2012-12-22

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私は、被災地障がい者支援センターふくしま代表白石さんの代理として「原発いらない福島の女たち」のよびかけに応え現地抗議行動に参加してきた。私は12年間広島にいたが、比治山にあるABCC(原爆傷害調査委員会)を忘れない。戦後直ぐ日本に乗り込んで原爆生存者の調査はしたが、治療はしなかったという話を被爆者の方から直接聞いていたからだ。国連の下部組織の国際原子力機関(IAEA)もチェルノブイリで同様のことをしていたという。12月15日、郡山のビッグパレットにてIAEAと日本政府の共催による「原子力安全に関する福島閣僚会合」が開かれた。脱原発を宣言していた福島県が、原発と共存せざるをえない筋書きへと書き変えられつつあるようで、これには黙ってはいられない。

2012年12月14日13時、県庁舎西側もみじ公園に「原発いらない福島の女たち」と東京、大阪、兵庫、広島など全国からの支援者が結集した。「原発はいらない」「子どもを守ろう」「IAEAはふくしまへ来るな」それぞれの思いを書いたプラカードを掲げ、様々な旗が空高くなびいていた。オープニング挨拶で佐藤幸子さんは、ありったけの思いを込め「福島の女たちは、自分たちを抜きに福島のことを決めてほしくない」と訴えた。話は続く。「福島県民は、全てがいつもの福島に戻ったかのような実感があるようだ。なぜなら、放射能は降り注いでいるのに、学校行事では夏にプール、秋は駅伝と、まるで以前の生活と変わらない。でも、高い線量の中で生活していいのか悩んでいるお母さんたちがいる。そろそろお母さんたちの中で絶望とあきらめが出てきている。だけどあきらめてはいけない。」と集会参加者へまっすぐなまなざしで語る。未来を生きる子どもたちのために、未来の福島のためにここであきらめてはいけないのだとその思いが痛いほど伝わってくる。もみじ公園から見える阿武隈川も弁天山も目には見えない放射能が降り注いでいるのだ。「「安全宣言」なんてとんでもない」と皆の怒りが公園中を埋め尽くしていた。

 

結集した人々の代表は、「福島へのIAEAの進出をやめさせ、健康被害の過小評価や隠ぺいをなくし、情報公開と子どもたちの避難を実現させる」ことを申し入れるため、県庁庁舎へ入った。申し入れ書を手渡す部屋には10名しか入れないとのことだったが私もその中の一員として部屋へ入った。知事は用務中のため出席できず総務部の菅野氏が代理で申し入れ書を受け取った。申し入れについての回答を求めると「私の方から回答はできませんので、返答については黒田さんへ連絡します」との返事だった。                      

 

 

 

その後、もみじ公園に戻り、申し入れ書の読み上げ報告があった。そのあと、公園を出発し、県庁前を通り「原発いらない」と声をあげながら、福島駅を目指しデモ行進をした。デモ隊の先頭は酪農農家の人だった。亡くなった牛の頭蓋骨を針金で作った牛の骨格の上にのせ、立ったまま餓死した牛が並んだ自分の家の牛舎の写真を掲げた台車を数人で押していた。この先頭車に続き、姫路から参加した二人の女性がかんしょ踊りでデモの列を率いていく。駅付近では、多くの人々が私たちを見ていた。どれくらいの人の理性に、福島の線量は決して安全ではないという事実が届いたであろうか。

私は、デモの先頭だった酪農農家の人に続いて福島駅でマイクを持って訴えた。「家畜は餓死させられましたが、身動きとれない障がい者も置き去りにされ餓死していたのです。この国では障がい者の人権がないのです。気の毒だから。そういう風に思われて生きているだけなのです。放射能汚染で障害児が産まれるかもしれないと福島の女の人が堕胎するのは、障がい者に人権がないからなのです。選ばれたエリートだけが力を持つ世の中では、障がい者を殺す優生思想がはびこっているのです。女だけに責任を負わせる社会であってはいけません。みんなの未来のために、障がい者と女たちとともに、一握りの人の富と繁栄を支えるIAEAと戦っていきましょう。」

その朝、郡山から福島駅へ向かう電車の中で私の介助者が、となりの席の女性と話をした。「孫の甲状腺に0.2ミリの腫瘍?ができているんです」私の介助者も女性も涙が止まらなかった。郡山では、去年も今年も夏に蝉の声を聞かずイナゴの姿も見なかったと聞いた。すでに生態系には異変が起きている。今回、福島県がIAEAを呼ぶのは「世界最高水準の技術」を持っているからだという。チェルノブイリで被爆被害の過小評価をしてきたIAEAを「復興」の名の下に税金を使って呼んだ。まるで事故があったのを忘れたかのように、原発との共存の方向に流されている。しかし現実には、原発事故は何も解決していないし、放射能汚染も収束していない。

2012年12月15日朝、IAEAと日本政府共催の「原子力安全に関する福島閣僚会合」の会場である郡山市のビッグパレットの2ブロック手前に抗議のため全国から約150名が結集した。8時30分から抗議行動主催者の記者会見がおこなわれ、そのあと9時からはじまった抗議行動では、シュプレヒコールや歌、参加者のスピーチなどが続いた。抗議行動150人に対して警察の警備は約6000人が動員されていて、全く会場に近づくことさえできなかった。唯一許されたのは、仮設住宅が設置されている東側とは反対側の西の端の駐車場に、申し入れ書を手渡しに行った時の午前11時30分ころから1時間程度であった。電動車いすの障がい者は私一人だったので結構目立ってしまっていた。

海外からも、反原発・環境活動家が沢山来ていたので英文のビラを渡して、みんなとハグして、しっかり国際交流をした。

抗議行動での私のスピーチは「むかしから障がい者は、健全者に近づけようという名目で人体実験の様な試みの被害に遭ってきました。それは(優れた人が一番で、みじめな障がい者にはなりたくない、衰えたり老いたりしたくない)優性思想がはびこっているからです。そのような経験を持つ障がい者の立場からすると、原発事故後、福島の人々が内部被曝の実験台にされていくのも、被曝した胎児が闇に葬られるのも許せない。」

自分達のことを自分達で決めることが許されないということは、人権が奪われている何よりの証拠である。福島に住み続けることに少しでも内部被曝の不安があるのなら、それを専門家が勝手に安全だと言いきっていいのか。生活していくのは福島県民なのだ。

「原発はいらない福島の女たち」と私達障がい者は声を大にして叫ぶ。

「我々のことは我々ぬきに決めるな!」

障がい者の声をきけ。「原発はいらない福島の女たち」の声を聞け。

                                古井 正代

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