バリアはどこにある?

2011-06-19

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阪神大震災のときから仮設住宅のバリアフリーを求める声が上がり、あれから何回かの震災もあり当然ながら経験知の蓄積が大いに生かされ、ユニバーサルデザインの仮設住宅が今回こそ当初から計画されるものだと期待していました。しかし、残念なことに東日本大震災の現在に至っても、当事者団体等から要望したにもかかわらず現実には(少なくても郡山市近辺では)そういう合理的配慮など後回しにされ、どんどん仮設住宅の建設が進んでいる感がぬぐえません。

「自宅はバリアフリーだったが、帰れないので困っている。」という声もあり、「車椅子対応」の仮設住宅に入居した人からも「ドアの入口が狭い」、「山坂が多く車椅子では暮らせない立地条件」ということで入居を断ったという声も聞こえています。 5月9日 被災地障がい者支援センターふくしま に、「病院に入院中だが、退院後は病気のため長距離の移動が難しい。通院治療も必要で、自宅が避難指定区域なので帰れずに困っている。」という相談がありました。この時も現実のニーズは仮設住宅では対応できず改修可能な民間住宅を探そうとし、結局県外移住になりました。このケースのように、バリアフリーは何も障害者のだけが必要な事ではないのです。こういう相談は被災地障害者センターふくしまに多数寄せられています。

阪神大震災の時も、被災者の中にはストレスから健康を害する人が多かったと聞きます。家を失い・家族を失い・会社や仕事も失った苦境から、日夜を問わず必死にがんばって立ち直った矢先に、脳血管障害などで中途障害者となった壮年期の人が沢山いました。震災後に改築・新築した我が家で暮らそうとしても、玄関から家中がバリアだらけで、移動が困難または車椅子生活になるや家には帰れない。施設暮らしを余儀なくされた人たちも多かったようです。「まさか自分がこうなるとは・・・・」異口同音に語られてきたこのフレーズが示す教訓は生かされているのでしょうか? 福島県の避難所で診察をしている医師も言っていました「ストレスからでしょうか、高血圧の人が非常に増えています。」と。

バリアフリーはバス・電車・地下鉄・建物の事だと思っている人が多いと思いますが、問題なのは人々の心の中のバリアだと思います。未だに、私たち車椅子に乗った者が町に出て行くとこういう声が実際に聞こえてきます。「ああはなりたくないよね」「あんなみじめな姿で生きていくくらいなら死んだ方がまし」という言葉があちこちで囁かれているのが聞こえます。口に出さなくても、目をそむけるその仕草が、雄弁に語ってくれています。私はむかし絵を描いていました。油絵です。新聞や雑誌に取り上げられるときはいつも、「不自由な障害者が」とか、あるいは「がんばって」とかそういうキャッチフレーズがつきまとうのです。ひとつの作品として、その中から語られるメッセージを冷静に受け止められることはなく、誰が作ったかだけが一人歩きし、単なる作品としての評価はありません。私たち障害者がマスコミに登場するときは、NHK教育テレビの福祉番組、障害者を見ると障害者イコール福祉というステレオタイプばかりで、まるで私たちは福祉の中でしか存在することが許されないかのようです。これこそが、バリアではないのでしょうか?

いまから40年前を思い出します。障害者が町を歩くと「どこの施設から逃げ出してきた?」と声をかけられていました。それが今では「施設」が「福祉」という看板に変わっただけで、別枠の中に閉じ込められ、社会の表舞台から始めから外れている現実は変わりません。

法定雇用率の障害者枠等で減額された給与ではない一般企業での正式雇用、大学や大学院の中にどれだけの障害者がいるのでしょうか?未だに日本の履歴書の中には、身体状況を記載する項目や健康診断を要求します。試験では、他人と同じ時間内で終らなければならないという画一的な基準が当然視されています。

しかし欧米などでは、履歴書の中に性別を記入する欄もなく、写真の添付もありません。写真を見たら人種や性別が一目瞭然だからです。当然ながら、身体的特徴を書くような欄もありません。テストの時などは、別室で本人が納得するまで時間をかけても良く、本人が望めば筆記する人や介護者を同席させ手伝わせてもいいのです。米国のテレビを見ていると、kids番組にはタイトルバックでいつも、アフリカ系アメリカ人の脳性まひの男の子が電動車いすに乗って登場していました。おもちゃ売り場には、バービー人形やテディベアまで車椅子に乗って、一緒に売られています。

ジョージア州アトランタ市には、市の条例に、すべての新築住宅は、玄関に段差があってはならない、ドアの幅は充分広くなければならない、必ず1階に車椅子で使えるトイレが無くてはならないという基準が明記されています。この条例が決まる前に建築された住宅でも、申請すれば改修補助金が交付されるのです。

「何もそこまで・・・」「それは行き過ぎ・・・」と思う人こそ、現実のギャップをもっと知るべきです。だれも「健常」のままで死なないし、「介護」なしに生まれ育ってこなかったはずです。隣人がどのような状態になっても隣人でいられるコミュニティの実現とは、こういう具体的な「変化」の積み重ねです。

以前、地下鉄の全ての駅にエレベーターを設置するように障害者が要求を出したとき「金が掛かる・・」「全ての駅、そこまでしなくても・・」という反応が少なくありませんでした。しかし、今ではベビーカーの親子や杖をついた人、大きな旅行トランクを引いた人、別に特別な理由が無くても、いろいろな人が当たり前に利用しています。車椅子ユーザーが乗ろうとすると、同じ空間にいたくない人は、あわててドアを閉めて締め出すくらい「一般に」普及しています。

だれも疑問を持ちません「このエレベーターがなぜここにあるのか?」などと。

 

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