「まさか自分が・・・・」ではなく

2011-06-19

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バリアフリーはバス・電車・地下鉄・建物の事だと思っている人が多いと思いますが、問題なのは人々の心の中のバリアだと思います。未だに、私たち車椅子に乗った者が町に出て行くとこういう声が実際に聞こえてきます。「ああはなりたくないよね」「あんなみじめな姿で生きていくくらいなら死んだ方がまし」という言葉があちこちで囁かれているのが聞こえます。口に出さなくても、目をそむけるその仕草が、雄弁に語ってくれています。私はむかし油絵を描いていました。新聞や雑誌に取り上げられるときはいつも、「不自由な障害者が」とか、あるいは「がんばって」とかそういうキャッチフレーズがつきまとうのです。ひとつの作品として、その中から語られるメッセージを冷静に受け止められることはなく、誰が作ったかだけが一人歩きし、単なる作品としての評価はありません。私たち障害者がマスコミに登場するときは、NHK教育テレビの福祉番組、障害者を見ると障害者イコール福祉というステレオタイプばかりで、まるで私たちは福祉の中でしか存在することが許されないかのようです。これこそが、バリアではないのでしょうか?

いまから40年前を思い出します。障害者が町を歩くと「どこの施設から逃げ出してきた?」と声をかけられていました。それが今では「施設」が「福祉」という看板に変わっただけで、別枠の中に閉じ込められ、社会の表舞台から始めから外れている現実は変わりません。

法定雇用率の障害者枠等で減額された給与ではない一般企業での正式雇用、大学や大学院の中にどれだけの障害者がいるのでしょうか?未だに日本の履歴書の中には、身体状況を記載する項目や健康診断を要求します。試験では、他人と同じ時間内で終らなければならないという画一的な基準が当然視されています。

しかし欧米などでは、履歴書の中に性別を記入する欄すらなく、写真の添付もありません。写真を見たら人種や性別が一目瞭然だから、差別の原因になるからです。当然ながら、身体的特徴を書くような欄もありません。テストの時などは、別室で本人が納得するまで時間をかけても良く、本人が望めば筆記する人や介護者を同席させ手伝わせてもいいのです。米国のテレビを見ていると、kids番組にはタイトルバックでいつも、アフリカ系アメリカ人の脳性まひの男の子が電動車いすに乗って登場していました。おもちゃ売り場には、バービー人形やテディベアまで車椅子に乗って、一緒に売られています。

ジョージア州アトランタ市には、市の条例に、すべての新築住宅は、玄関に段差があってはならない、ドアの幅は充分広くなければならない、必ず1階に車椅子で使えるトイレが無くてはならないという基準が明記されています。この条例が決まる前に建築された住宅でも、申請すれば改修補助金が交付されるのです。

「何もそこまで・・・」「それは行き過ぎ・・・」と思う人こそ、現実のギャップをもっと知るべきです。だれも「健常」のままで死なないし、「介護」なしに生まれたことも、育ったこともなかったはずです。隣人がどのような状態になっても隣人のままでいられるようなコミュニティの実現とは、こういう具体的な「変化」changeの積み重ねです。

以前、地下鉄の全ての駅にエレベーターを設置するように障害者が要求を出したとき「金が掛かる・・」「全ての駅、そこまでしなくても・・」という反応が少なくありませんでした。しかし、今ではベビーカーの親子や杖をついた人、大きな旅行トランクを引いた人、別に特別な理由が無いような若者でも、いろいろな人が当たり前に利用しています。車椅子ユーザーが乗ろうとすると、あわててドアを閉めて締め出すくらい「一般に」普及しています。

だから、だれも疑問を持ちません「このエレベーターがなぜここにあるのか?」などと。

 

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