12月, 2013年

母体の血をのぞき見て~母体血検査と原発

2013-12-20

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この文章は2013年10月27日に兵庫県西宮市男女共同参画センターでおこなわれた「母体の血をのぞき見て」という集会で私が「母胎血検査と原発」というテーマでおこなった講演の内容を基に文章にしたものです。
下にそのときに録音した音声も投稿しております。


人災による悲劇と、そこから起こるさらなる悲劇

国会の原発事故調査委員会が「明らかに人災」とした悲劇的な事故ですが、
この人災という言葉は重く私たちにのしかかってきます。原発を推進してきた原発村と政府、
さらにはその利益を無頓着に享受してきた私たち国民。この事故は悔やんでも悔やみきれません。
私は悲劇がこれだけでは終わらず、
今後、新たに「人の起こす災い」を生んでしまうのではないかと危惧しています。
この危機感は原発事故後に導入されることとなった母体血検査により現実味を帯びてきました。
「直ちに健康に影響はない」という違和感がある放射能の呪文は、
暗に「将来にわたっての不安」を彷彿とさせます。
その不安のもとで出産を迎えるお母さんは、命の選別を迫る母胎血検査を受けずにいられるのでしょうか・・・。
私には母親達が無意識の優性思想により苦悩し「子殺し」を選ぶ未来が頭に浮んでしまいます。

被曝が誘発する優性思想

私は原発事故自体が優性思想を爆発させる仕組みを内包していると考えています。
その仕組みとは放射能の不安から始まります。放射能は目に見えず、その影響も目に見えません。
目に見えないからこそ不安になるのです。「漠然として理解できない不吉な予感」それこそが不安であり、対象のない予感では対処する方法はありません。対象物を見つけ恐怖に変ることで初めて対処することができるのです。ですから私たちは安易に恐怖の対象を探してしまいがちなのでしょう。
被曝や原発事故の不安はどの様な恐怖に変るでしょうか?
原発事故の人体への影響について考える時、一番はじめに思い起こされるのはチェルノブイリでしょう。
国連総会でも上映された「チェルノブイリ・ハート」という2003年のドキュメンタリー映画では映像と共に先天性の奇形児や障害児が増えていると紹介されています。原発事故・被曝はこのイメージが強いと思います。
そしてそのイメージは恐怖の象徴のように語られます。
そこに障害者を産み育てることへの不安も加わり、子供への障害が恐怖に変わってしまう。
ここまでくれば優性思想へ向かう道のりができてしまいます。
原発事故がきっかけで起こる被爆への不安が障害への恐怖に変わり優性思想につながるのです。
そこに追い打ちをかけるように国の「直ちに健康に影響はない」という放射能の呪文と
開示する情報の不透明さが不安をあおり、動植物の奇形や奇形児・障害児を反原発の中心におく一部の反原発運動もその助けになっているように感じます。
さらに付け加えるなら障害者を産み育てることへの不安を育む社会も加わることで福島の原発事故は優性思想を爆発させます。

命の選別はすべきではない

そのことを踏まえた上で結論からお話しします。
原発に起因する被曝の深刻な影響がこれから産まれてくる子供たちに現れる可能性は高いと言われます。
そうだとしても、皆さんには生まれる全ての命に対して共に生きる覚悟をお願いしたいのです。
生存が苦痛でしかないような子供。そしてその子供達を見守るしかない悲劇、支え続けても見通のない未来。
目を覆いたくなる不幸。
このような未来予想図が、被曝の被害として多く語られています。
すべての命と共に生きる覚悟をしていただく為に知っていただきたいことがあります。

苦痛と恐怖は誰が感じているのか?

目を覆いたくなる不幸とは?生まれることが不幸な人生とは?
考えてみてください。それは誰が感じていることですか?生まれてくる子供達がそう言いましたか?
私は九死に一生を得て生まれました。障害者として生まれ、同時に医師に余命11年と宣告を受けました。
悲観した母は無理心中を図るというのが私の人生のスタートでした。
その後、結婚し三人の子供を出産しました。子供達の参観日や行事に参加しアメリカにも住みました。
次第に動かなくなる体も電動車いすを駆使することで反原発運動にも参加しています。
私は私の生を十二分に堪能し、感謝しています。
辛いことは山ほどあります。皆さんと同じように。幸せなこともたくさんあります。皆さんと同じように。
年を重ねるにつれ身体はいうことをきかなくなり、痛みもあります。皆さんと同じように。
しかし私の人生に恐怖はありません。楽しいのです。
私は生まれることが不幸な人生などないと信じています。

切り替えるべきは頭のスイッチ

平成25年12月4日の参議院本会議で全会一致で批准が承認された国連の障害者権利条約は、「障害は個人ではなく社会にある」といった視点に基づくものです。
まさにそれが答えです。障害者にとって障害を作っているのは社会です。
生きにくさを強要されている人を葬るのでは無く、社会の障害を改善・除去することが必要なのではないですか?
日本はこれから想定外の高齢社会から急速な人口減少社会を迎えます。
お年寄りが増える中叫ばれるようになったバリアフリー。バリアがあるのは社会です。
そして皆さんも怪我をしたり、事故にあったり、年をとりその障害を背負うことを忘れないでください。
でも不安にならないでください。人生とは、どのようなスタートを切ろうとも本人には肯定し楽しめるものだし、それを否定するのは社会であってあなたじゃない。

国から暗に示される不安

【直ちに健康には影響しない】なんと不安な響きがある言葉でしょうか。
将来にわたっての健康について私は関心を持っているというのに。話したくない事情があるのか、状況を把握していないのか。ただ私たちは情報の不確かさだけを知っています。
さらに今年9月に国際オリンピック委員会総会で「福島原発の状態がコントロール下にあることを私は保証します。東京には今までもこれからも被害が出ることは絶対にありえません。」と安倍首相は世界中に向けてスピーチしました。
私はこのスピーチを聞いて率直に驚きました。私の日々感じている感覚と安倍首相の言葉には大きな隔たりがあったからです。
高濃度汚染水が漏れたり、一部の食品が出荷できないなどの現状で「コントロール下にあり被害がない」なんて言葉こそ〝想定外〟でした。
安全や安心とはほど遠い、このような不安がさらに多くの優性思想をかき立てているのです。

反原発の主張に潜む優性思想

私たちは原発の本当の恐ろしさとは何か見極めなければならないと思います。
一部の反原発運動の中に放射能汚染エリアでの奇形動植物を紹介することで放射能の怖さを表現したり、奇形児や障害を持つ子供の誕生を危惧する声があります。その様な中には優性思想が潜んでいるように感じます。
放射能の影響は目で見えない。だからこそ目に見える結果にだけフォーカスがあたりやすく、恐怖の対象となっているのではないでしょうか。
放射能による健康被害は怖いという論調がいつの間にか奇形や障害は怖いにすり替わってはいないでしょうか。

原発事故の恐ろしさとは?

原発・原発事故の恐ろしさは「不幸な子供(障害児)」が産まれることではないと私は考えます。
障害や健康被害を受けた子供達が産まれるのは親の健康が害された結果の現れです。
障害を持つ子供達が生まれるのは放射線障害の一つの結果に過ぎません。
真の恐ろしさとは親だけではなく全ての人々の健康を徐々に害し、私たちの愛するこの国の自然・風土・文化を破壊することでないでしょうか?

子供の未来を奪うのは放射能ではなく母胎血検査

そしてこのタイミングで母胎血検査です。いまはまだ特定の遺伝子しか検査をしません。
しかし将来的にはなし崩し的に拡大される可能性が高いと考えています。
今のように原発事故は収束し健康被害は無いとする国に都合が悪い事実が発生した場合は、被曝被害を闇に葬る道具として利用される可能性すらあるのではないかと恐怖を覚えます。
そもそも出生前診断とは命の選別を迫る検査以外の何物でも無い。親が検査を決断したら、検査の後に迎えるのは選別の苦悩だけではないですか?
そしてその苦悩と重荷はどのような結果を迎えてもお母さん達が背負うことになります。

私からの提言

原発事故はすでに起きました。これはまぎれもない事実です。
そしてすでに多くの方が被曝した可能性も否定できない。
将来の親とその子供達の健康が害されてしまった可能性は十分にあります。
でももう起きてしまったのです。それは覆ることはありません。
だからこそ、まずこれ以上の健康被害の可能性を避け、すこしでも危険性のある土地で食べ物を作らずに移住すること。
愛した土地を離れるのは悲劇です。しかし悲劇は起きてしまったのです。
国は汚染されていない地域へ負担なく移住できる制度を。
そしてその影響が出てしまった子供達を私たちの社会は暖かく迎え入れ共に生きる事が必要です。
今回の原発事故は国や電力会社が起こした人災なのは間違いありませんが、それを後押ししたのは利便性をもとめる私たち一人一人の責任でもあります。
今求められていることは健康被害や障害をもった子供達を未然に選別することではなく、
私達の求めた利便性の結果を図らずも背負わされた子供達、親達、子孫達を全力でサポートしていく準備ではないでしょうか?
国や電力会社や私達が、責任と苦悩を一部の人々に背負わせ「子殺し」の選別を迫る仕組みをつくり、黙殺する事にならないように、社会の過ちを私達全ての国民が受けとめる社会にしていこうではありませんか。

 

タカッサンへ

   この文章は10月27日亡くなった私の友人であるタカッサンに捧げます。
   彼は水分補給すら難しい状態で、この「母体血検査と原発」を聞きに駆けつけてくれました。
  その3時間半後 彼は息を引き取りました。

   関西で障害者運動が始まったのは42年前に姫路にある養護学校の一室で始まりました。
   彼がもつ生来の人柄があってこそ、人が集まりうねりとなったと私は感じています。
   タカッサンは温かく大きな人でした。
   その人柄を表すように彼の葬儀では介護に関わった多くの方が集まり、
  「お骨を分けるんだ」と一片も残さず刷毛で掃き集めていた。
   本当に皆に彼が大切に想われていたんだなぁと思って嬉しくなりました。
   なかなか、こんな人はいないよね。
   この集会の録音データーに、この頃ほとんど声が出なくなっていた、タカッサンの声が「ぅお-」と、残っていました。
   私たちの生存を根底から揺るがす優性思想に対して彼は最後の最後まで命を懸け戦った。
   日本の障害者運動の歴史の1ページそのものだったタカッサン。
   上手な文書が書けたり、たくさん言葉をしゃべることはできなかったが、
   その分彼の強い意志とぶれない生き様は接するもの全てに影響を与えるほどでした。
   「タカッサンお疲れ様!」

何重にも差別を受けた佐々木千津子さんの死を悼んで

2013-12-20

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今年65歳で亡くなった脳性まひ者佐々木千津子さんの生涯は何重にも差別を受けた歴史そのものとも言えるかもしれません。私が広島在住だったころ、すれ違ったかもしれない千津子さんの生い立ちは「忘れてほしゅうない」というDVDで販売されています。それを見た人も、これから見る人にも、ぜひ一緒に考えてもらいたい事があります。


広島市近郊(現在は広島市)で生まれた脳性まひ者の佐々木千津子さんが生をうけたのは、広島が被爆し、お父さんが妹(叔母さん)を探しに毎日のように爆心地まで通った2年後でした。佐々木さんは昭和22年12月28日生まれでしたが、学齢期になっても小学校に行くどころか、就学猶予・免除にされて、地域や社会から隔離された環境で同世代の友達もなく育ちました。彼女が成長して、お姉さんの結婚が決まった時に、障害をもった妹がいることが知れ、障害者は遺伝すると言われ結婚が破談になったそうです。当時の広島は折り鶴の少女で有名な白血病をはじめとする急性放射線症候群や死産・奇形児の増加などの放射能被害が伝えられる被爆地でした。だから当時の「内部被曝」の事実がタブーとされたり、「五体満足」以外の子供の存在を許さない内なる優生思想が、この話から覗い知ることができるかもしれません。

佐々木さんが姉さんの破断をきっかけに、自分のことを「家族一同の厄介者」と強く感じ、「これ以上迷惑をかけられない」と自宅に居たたまれなくなった事は容易に想像できます。高度経済成長期にさしかかった当時の日本は、「家から出るには、施設に入る事しか選択枝がない」「施設に入り国の庇護を受けられるのは幸福だ」と思い込まされた差別社会でもありました。今日の国連の権利条約や合理的配慮とは全く対極のような、誰も疑うことさえ許されない当時の社会全体の排除的な空気が、彼女に施設に入所する決意をさせました。当時は施設入所の条件に、生理の世話などの「余分な介助」の必要な者は入所を許可しない規則がありました。社会と隔絶した在宅生活で、女性の身体の仕組みについて全く無知な彼女は、「生理がなくなる」手術のリスクや「子供を産めなくなる事」に何の説明もないまま、入所のための条件として、何の疾患もない生殖器への違法な不妊手術をいともたやすく強要されてしまいました。その結果、子宮に放射線を長時間当てる処置によって被曝させられたのです。

被爆地で生まれたこと、障害を持っていたこと、家族も含めた偏見と差別、介護の手間を省くこ収容施設、義務教育も受けず、自分の性について知る機会もなく、地域から隔絶した生い立ち、さらに違法な不妊手術の被爆にいたるまで、何重にも差別を受けた彼女は今年65歳の若さで、急に亡くなったのです。

不妊の為のコバルト照射の後遺症で亡くなるまで身体中あちこちに痛みを伴い、莫大な量の薬を飲まないではいられなかったといいます。このあと、彼女は自分の一生涯のテーマとして、優生思想によって差別され、違法な不妊を行政組織ぐるみで強要された事に対し、怒りと事実確認・謝罪を訴え続けてきました。亡くなる日も優生思想の学習会に行った帰り道だったそうです。どういうわけか、子どもを産みたかった彼女が亡くなったのは(搬送先の病院で病室を空けるまで待たされた場所)、それは皮肉にも分娩室だったそうです。

佐々木千津子さんの主張は、「自分の生理の始末もできない女が堂々と生きているのがおかしい」という個人に対する攻撃に対して、生理は女として生きる上で当然のことで空気を吸うのと同じくらい当たり前で、これを「余分な世話」とするような介護側の意識を変える努力は本来社会の側の責任である。 この責任を自覚せず、個人の肉体に違法な危害を加えた罪を曖昧にしたままでは、結果として社会が障害者の生存を認めていないことになる、という点です。

違法な不妊手術を許さない佐々木千津子さんの魂が訴えている叫び(忘れてほしゅうない!)の根幹には、国連の障害者権利条約に明記されている、障害は個人の問題ではなく社会の側の問題だという認識があるのです。佐々木千津子さんの命懸けの叫びに耳を傾けるなら、心身の状態に関わらず誰も社会から排除しない仕組みを実現させる覚悟をもって、過去の違法な事実をウヤムヤにしないことが求められているのです。

広島に原爆が落とされた昭和20年8月6日以降、広島で障害児や奇形児が産まれるかもしれないと言われ、広島出身だと結婚の時に差別を受けたのには二重の差別構造があります。戦前戦中と「産めよ!増やせよ!」という教育で戦争要員(兵士・銃後の守り)を確保するのが国策でした。ナチスドイツがユダヤ人を虐殺する前に障害者虐殺をしていた歴史に見られるように、戦争が起こると「生産性のない」「役たたず」な者に生きる資格などないとされていました。貧困家庭では子殺し、裕福な家庭でも「座敷牢」に閉じ込められ世間の目を忍んで一生を終わるが当たり前でした。敗戦後にもその常識は変わるどころか、原爆投下後の被爆地で障害児が生まれようものなら、「遺伝」や「血の穢れ」として、当時は更に厳しい差別があったのも当然の成り行きでした。そして70年近く経った現在、原発事故後の福島で、またもや、「結婚出来ないかもしれない」とか「普通の子どもが産めない」と一部の人達によって言われています。「結婚出来ない」のは結婚後産まれる子どもが障害児かもしれないという恐怖が脳裏に浮かんでのことではありませんか?「普通の子ども」というのは「五体満足」な赤ちゃんを意味しているのではありませんか?それなら、障害児や奇形児は生まれながらに不幸を背負っているのでしょうか?私達障害者の事を「あってはならない存在」と思う根強い優生思想をもちながら、無自覚な人達が70年近く確実に再生産されてきたのです。

だからこそ、その原点である原爆被爆地の当時をしっかり振り返ることを忘れては、今日の私たちの本当の姿は見えないのでしょう。

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