Archive for the ‘被災地現地レポート’ Category

第17回地中海小児神経学会でしゃべってきました。

2011-09-17

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2011年9月14日-17日 地中海沿岸のピランという町で開かれた17th Congress of Child Neurologists of Mediterranean(第17回地中海小児神経学会)の大会長のDr.Milivoj Perat  に特別報告者として招かれて、「地震・津波・放射能汚染での障害者の現実」The Reality of People with Disabilities after Quack, Tsunami, and Radiation Contaminationと題して、福島の現実を訴えてきました。

割り当てられた時間は15分だったので省略し手しまった部分も復活させて含めた完全版プレゼンテーションは以下のとおりです。

 

7月22日 被災地への障害当事者による支援とは?

2011-07-23

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7月22日 ゆめ風基金(阪神淡路大震災の時から被災地障害者支援のために設立された基金)の報告会に行ってきました。宮城と岩手の方は、送迎車で送迎をして忙しく充実した活動をしているという報告でした。福島に何回も訪問した経験から、原発の避難地域では、地域丸ごとの避難なのであたりまえに障害者も存在していたけれど、津波の後の被災地域の沿岸部ではほとんど障害者の生存者は見つかりませんでした。だから、「宮城と岩手にだけ、そんなに忙しく送迎したりするほど、障害者が津波の被災地の沿岸地域にたくさんいるのだろうか?」と不思議に思い質問したら、やはり想像通り「障害者はほとんどいなくて、対象者の大多数は高齢者です」という答えがかえってきました。だから、これは「障害者への救援活動」だと思って出資した人たちの意図からすると、微妙な「ずれ」が生まれるのです。厳密に言えばあくまでも「障害者として自覚した当事者のための救援活動」であるべきで、高齢者の多くに障害当事者としての自覚がない事は無視できないことなのです。言葉にすればわずかの「ずれ」ですが、この微妙に角度がずれたまま、そのまま突っ走るとやがてはとんでもなく違った方向へ行くことにもなりかねません。とっても大切な時期なので、そして、今こそ障害者の当事者としての社会的存在意義をひときわ輝かせるべき時なので、あえてここで強調しておきたいと思います。

わたしも、義理の父や実の母の介護をした経験から、「老人」はだれでも、たとえ自分が動けなくなっていても「自分はあんたら(障害者)とは違う」という意識がぬぐいがたく存在することを、身にしみています。そして、この「上から目線」自体が、当の「老人」達自身を縛り付け・閉じ込め・苦しめ・やがて自殺(消極的自殺もふくめ)に追いやる元凶であることに、全く無自覚なのです。宮城や岩手の、この送迎のいるような「老人」たちは、ほとんどの場合もうすでに消極的自殺への階段を下り始めています。そう思ってつきあわないと、私たちのような「生まれてこの方、記憶にある限りずっと障害者」と同じようにつきあって安心していると、大きな落とし穴にはまるのです。この「老人」たちにこそ障害者として胸を張って生きていくように、当事者として、新しい人生を生まれ変わって生きていく自覚を持たせなければなりません。それこそ何十年も、どっぷりと浸かりきってきた五体満足万能主義(優生思想)を根底から覆す大仕事なのです。アメリカでは国民の1/5 が障害者だということが常識ですが、日本では高齢化率がアメリカのほぼ2倍なのに国民のたった5%しか障害者がいないと言って憚らないのですから。この国では障害は、いかにスティグマで、いかに少数派で、無かったことにしたい、抹消したい、忘れておきたい「不都合な実在」なのです。障害者を5%にするための狭い入り口の門番として医師に「重篤な」「困難」や「逼迫した」状態であることの「証明」をさせておいて、その「証明」をもって「有資格障害者」とするという、二重三重の「関所」をもうけて世界の常識からほぼ半世紀のあいだ鎖国を続けてきました。少数派ですから当然、限られた予算に押し込めることも容易です。でも国民の五分の一以上の問題であれば、一般会計の問題になりOpenな議論にさらされ、これまで隠し続けてきた「不都合な真実」があきらかになります。これは、3.11以降に福島県内に線を引き、そこから「安全」と「被曝」を恣意的に選んで、都合の悪い真実から目をそむけたいと諍った姿勢とまったく同じ「ふるまい」です. このような愚かな「その場しのぎ」は、かならず未来に大きな禍根を残すということを、日本の歴史は何回繰り返せばいいのでしょうか?

メインストリーム協会と夢宙センターの人たちが、介護者を2名つけて岩手に救援活動にこれから入るという報告がありました。これは実はとってもあたりまえのことで、もっと震災直後から障害者自身が多数現地に出向いて救援活動に関わる必要があったと思います。障害者の自立運動に健全者がはいり込み、健全者ペースで議論や物事の決定をすすめたり、代弁するということになれば、私たち障害当事者の主体性が疑問視されて当然なのですから・・・。私が以前に福島に白石さんの助っ人に入ったというと、障害者も健全者も口を揃えて「ええっ!!邪魔だったんじゃないの?」「行って何するの?」「足手まといにしかならないじゃないか?」という声がわきおこりました。そういう価値観・常識こそが障害者の主体性を圧殺し、健全者が必要で障害者は不要という社会意識を拡大再生産し続けていることに、はっきり気づくべきです。障害者の自立や救援活動に賛同して集められた資金は、当然のこととして、救援に行く障害者に必要な条件や介護費用にもっともっと使われるべきなのではないでしょうか? それこそが、国連の権利条約にある合理的配慮であり、こんなことさえ社会に定着させられないのでは、もはや日本に未来はありません!!!

 

飯舘村から始まった既視感(考)

2011-07-03

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1.障害者にしか解らない感覚

わたしが初めて福島県飯舘村を訪れた4月に、明日から避難区域に指定されるというのに、マスクも何の防護もなしに黄色の帽子をかぶってランドセルを背負った小学生達が平気で下校していました。その光景を見たとき、「大人達は何をしているのでだろう?」と感じた違和感、何故かむしろ驚きに似た不気味さ、居心地の悪さはずっと心に溜まったままです。最近のニュースで、わざわざフランスまで分析を頼んでやっと証明された福島市・伊達市のこどもたち15人全員の内部被曝の事実が報道されました。その報道にも再び違和感を感じました。誰一人口に出さなかったが原発事故の当初からそれくらいのことは誰にも「想定済み」のことだったはずではないか? 最近改めてそう考えてみて、飯舘村でのあの感覚がDeja-vuだったと気がつきました。多分、この感覚はわれわれ障害者にしか感じられないものです。「現実離れしたゴール」への「ありえない希望」だけを周囲からふき込まれ、いつも疑問への回答は先送りのままで、挙げ句には自分の姿さえ見失いかけてしまう、そういう苦い経験があるからこそ感じる感覚です。

2.回想 「現実離れしたゴール」

私の友人で、21歳の時に交通事故で脊髄損傷になった人がいます。事故後入院先の医師達に「私の足はどうなるの?」と聞きました。ところが、誰一人脊髄が再生しない事実には触れなません。むしろあえて誤解を生んでまで「希望」を持たせようとさえしていました。痙性の高い足首によく見られるクローヌスという、自分の意志とは関係なく反射によって小刻みに関節が震えてしまう現象を指さして、「足が動きましたよ!!」などと医師がいったのです。この現象が陽性兆候とよばれ中枢神経系に支障がある証拠と、後になって知るのですが、その時一切説明されなかったといいます。あたかも健常者に近づいて回復していると錯覚を植え付ける対応です。「都合の悪い事実は無かったことに」という日本人には馴染みの現実逃避的なメンタリティの現れでしょう。それが結果的には、自分で勝手に気づくまでほったらかしにして、長い時間を無駄にさせ、ずいぶん遠回りをさせたあげくに、大きな落胆を味合わせることになったのです。

しかし、いくら先送りにしても、いつかは向き合わなければならない現実があるのです。一方的な価値規範によって「希望がない」「厳しい現実」と決めつけない。そして、早くから「新しい旅立ち」の準備をさせるそういう態度は、日本では「冷淡」で「酷いこと」のように異端視されがちです。しかし、海外ではかなり実績があります。脊髄損傷者治療で有名なシェパードセンターという医療センターがジョージア州アトランタにあります。そこで権利擁護部主任を務め、自らも頸椎損傷者のマーク・ジョンソンは次のように語りました。

「退院前に家族を呼んで『今までの身体にこだわらず、これからの新しい身体での新しい人生』をまず家族が受け入れるよう指導する。その習得のため、病院近くのアクセシブルな民間アパートで家族と一緒に生活させて、これからの生活像を実証して自信をつけさせる。そのようにして、事故前に住んでいた地域で、障がい者としての新しい人生を、人間としての誇りを持ってエンジョイするパワーを培う。彼らの中には家族を持ち、パラグライダーやスキューバダイビングを楽しむ者も多い。」障がいに対するジメジメした忌避などものともせず、元の仕事に戻り、充実した人生を楽しんでいるのです。充実した人生の幕引きには、医療センターに自分の遺産の全てを献金したいと申し出る人が絶えず、その対応も権利擁護部の仕事といいます。

震災後の福島の障がい者はみな施設へ収容され、人生の成功者が生まれる芽が始めから摘み取られてしまいました。

 

3.回想 「がんばりすぎないための支援技術」

予後(これから先の自分がどうなるか)を冷静に見通し、実現可能な未来像を描かなければ、結果的には大きな禍根を残します。日本の脳性麻痺者の多くは「歩け歩け」という訓練のおかげで「ぎりぎりまで何にも頼らない」という精神態度を身につけてきました。制度としても、移動機器の給付は「失われた機能の補完」の範囲でしか許されないのです。だから、青年期から中年にかけ頸椎症などの二次障害で深刻に苦しんでいます。それとは対照的に、充分に歩ける状態で、はやくから電動スクーターなどを日常生活に取り入れているアメリカの脳性麻痺者では二次障害や頸椎症の深刻さは日本に比べ、ほとんど話題にならないほどです。

ピッツバーグ大学の支援技術センターCAT(Center for Assistive Technology)では、外国からきた滞在者にすぎない日本人の私に高機能電動車いすが給付されました。その処方にあたったロージー・クーパー理学療法士(現在所長)による「このまま放置すれば、過度の筋緊張のため痙性緩和治療が必要となる」「昇降機能が無ければ主婦として、棚の上の皿が取れず家事の遂行が困難となる」という合理的根拠付けの結果、カスタマイズされたフル電動シートの電動車いすが給付されました。米国では電動車いすのことを支援技術といい福祉用具とは言わないのです。社会が必要な対応をする事は、「福祉」ではなく、誰にでも平等に保障される「権利」のひとつなのです。実際、私は頸椎症でトイレへの移動もままならないこともありましたが、この給付のお陰で頸椎症もあまり進行せず、いまだに手術することもなく暮らせています。

個人の「がんばり」を前提にした結末が、かえって人々の人生を無力化することが多かった日本とは好対照です。東北人は「我慢強い」「がんばる」と言われます。この震災でもその「我慢」の対価が人生の無力化につながらないよう、誰にでも平等に保障されるべき「権利」を見守りたいと思っています。

4.直感とタテマエの狭間

そんなことを考えていると、東京に住んでいる人たちが、3月の原発爆発の直後に浄水場の水質汚染を心配して一時的にペットボトルの水を配給したり、自分の家の近くの土壌の放射線濃度を計測したり、子供が遊ぶ砂場の放射線濃度を計測している事をついつい重ね合わせてしまいます。

「無かったことに・・・」と現実逃避に躍起になっても、すでに大半の国民が漠然とした「最悪の未来」への不安を直感しています。放射能汚染の危機的状況への為政者達の「安全」強調一辺倒のタテマエ論など誰も本気で信じていません。かえって水面下で社会不安が広がり、根深い不信からやりきれなさを強めるばかりです。やりきれない感情の矛先が東電や原発に向かえばまだ健全ですが、悲しいかな、巨大で絶対的な力を前に、人々の感情の捌け口は、あろうことか本来被害者のはずの「フクシマ」へ向かいました。すでに「5月30日まさよ日記2」で報告した「フクシマ」差別のふたつのエピソードは、原発事故の不誠実な対応で増幅された社会不安の歪んだ表現ということができるでしょう。

原発事故直後に、諸外国が駐在員の家族をこぞって国外退去させたことを国の為政者達は風評に惑わされた「過剰反応」と苦しい言訳をしました。 また郡山市や福島市などの行政当局は、いちはやく放射能の「専門家」をたのんで講演会をして地域を歩き、ひたすら「安全性」のみを強調して回ってきました。その成果があり、多くの市民が避難や移住を思いとどまらせることに成功しました。しかし、今、その結果のツケは市民の側だけに確実に回ってきています。(反面、経済的に豊かな為政者達の家族は影響の想定されない地域に逃がれた人も多いとも聞きます。)

5.指定区域と内部被曝

日本政府の避難区域の20kmということ自体が適切と信じている人がどれほどいるのでしょうか? 実際、英米韓国が80km、シンガポール政府は半径100km圏内を危険区域として在留国民に立ち入り禁止を呼びかけているくらいです。(http://www.j-cast.com/2011/03/18090850.html

8月に出産を控え、4歳の子供をかかえる若い夫婦が郡山市近郊にいます。経済的に余程余裕がある人は別にして、自分の人生の文脈とは全く別の理由で、住み慣れた地域から移住するのは並大抵の決意ではありません。行った先での、住居や収入源の確保、それらが将来とも安定しているのか、今までの人生で公私ともども築いてきた人間関係ネットワークによる有形無形の社会的サポートが断ち切られる不安も無視できません。しかし夫婦はいろいろ悩んだ末、建てたばかりの新築住宅を捨ててでも、子供の将来の安心のために県外への移住について、苦渋の決断をしました。そして知人を頼り、被災者受け入れを標榜する西宮市に50棟あまりある空き家の公営住宅を申し込もうとしました。すると「全壊・半壊の被災者または避難指定区域以外は受け入れない」と拒否されたのです。

被曝では1日に直接大気や地面などで曝露する放射線量もさることながら、大気から呼吸器を通じたり、経口摂取された放射性物質の体内への蓄積の影響による内部被曝が長期帰結を視野に入れるときには大変深刻な問題だといいます。      5月17日 郡山で開かれた琉球大学名誉教授の矢ヶ崎克馬氏の「内部被曝を避けるために」の講演会を聞きに行きました。<http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-339.html> 矢ヶ崎克馬氏によると「被曝はDNAへの攻撃であり、細胞分裂が多い小さい子供や妊産婦は被害を受けやすいのです。だから、望むなら少しでも被曝の少ないところで育つことが、すべての幼い命の権利として、差別なく保障されてしかるべきです。」 にもかかわらず、世界中では非常識のような、都合が悪くなると10倍に跳ね上がる「安全」基準の避難区域指定を、幼子を抱える家族の移住を断る根拠にし、せっかく動こうと決意した人の出鼻をくじくのは、どう考えても納得できません。本気で自分たち共通の問題と捉えて支援する態度ではありません。

このように、被曝源を飛沫放射性物質のみでなく食品・飲水に含有される原発からの放射性物質にまで広げて想定するとき、関東はおろか日本で「安全」な場所などほとんど無いことに気がつきます。海産物や野菜でも間違いなく放射能汚染はすすんでいるようです。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/9547)7月になって、原発から60km離れた場所の牧草を食べ内部被曝した牛の肉が国内に拡散していることがとりざたされていますが、そもそも今秋収穫される稲だけが汚染されていないという事がありうるのでしょうか?避難区域以外の農家では県内全域で作付けされているのです。都合の悪いことを隠し続けた結果、何も知らされずに土を耕し、田植えする時に少なからず被曝していたかも知れない、農家の人たちがこれからどんな思いをするのか、そんな想像力さえ失ってしまったのでしょう。

そんな中で、津波で漁港を流された漁師達が、漁業の復興を目指し立ち上がっています。いまこそ勇気を持って、真実を直視した新しい旅立ちをこそ期待したいものです。「都合の悪い真実」を隠し続ける為政者達の巧みな口車には、くれぐれも用心しながら・・・・。

 

 

バリアはどこにある?

2011-06-19

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阪神大震災のときから仮設住宅のバリアフリーを求める声が上がり、あれから何回かの震災もあり当然ながら経験知の蓄積が大いに生かされ、ユニバーサルデザインの仮設住宅が今回こそ当初から計画されるものだと期待していました。しかし、残念なことに東日本大震災の現在に至っても、当事者団体等から要望したにもかかわらず現実には(少なくても郡山市近辺では)そういう合理的配慮など後回しにされ、どんどん仮設住宅の建設が進んでいる感がぬぐえません。

「自宅はバリアフリーだったが、帰れないので困っている。」という声もあり、「車椅子対応」の仮設住宅に入居した人からも「ドアの入口が狭い」、「山坂が多く車椅子では暮らせない立地条件」ということで入居を断ったという声も聞こえています。 5月9日 被災地障がい者支援センターふくしま に、「病院に入院中だが、退院後は病気のため長距離の移動が難しい。通院治療も必要で、自宅が避難指定区域なので帰れずに困っている。」という相談がありました。この時も現実のニーズは仮設住宅では対応できず改修可能な民間住宅を探そうとし、結局県外移住になりました。このケースのように、バリアフリーは何も障害者のだけが必要な事ではないのです。こういう相談は被災地障害者センターふくしまに多数寄せられています。

阪神大震災の時も、被災者の中にはストレスから健康を害する人が多かったと聞きます。家を失い・家族を失い・会社や仕事も失った苦境から、日夜を問わず必死にがんばって立ち直った矢先に、脳血管障害などで中途障害者となった壮年期の人が沢山いました。震災後に改築・新築した我が家で暮らそうとしても、玄関から家中がバリアだらけで、移動が困難または車椅子生活になるや家には帰れない。施設暮らしを余儀なくされた人たちも多かったようです。「まさか自分がこうなるとは・・・・」異口同音に語られてきたこのフレーズが示す教訓は生かされているのでしょうか? 福島県の避難所で診察をしている医師も言っていました「ストレスからでしょうか、高血圧の人が非常に増えています。」と。

バリアフリーはバス・電車・地下鉄・建物の事だと思っている人が多いと思いますが、問題なのは人々の心の中のバリアだと思います。未だに、私たち車椅子に乗った者が町に出て行くとこういう声が実際に聞こえてきます。「ああはなりたくないよね」「あんなみじめな姿で生きていくくらいなら死んだ方がまし」という言葉があちこちで囁かれているのが聞こえます。口に出さなくても、目をそむけるその仕草が、雄弁に語ってくれています。私はむかし絵を描いていました。油絵です。新聞や雑誌に取り上げられるときはいつも、「不自由な障害者が」とか、あるいは「がんばって」とかそういうキャッチフレーズがつきまとうのです。ひとつの作品として、その中から語られるメッセージを冷静に受け止められることはなく、誰が作ったかだけが一人歩きし、単なる作品としての評価はありません。私たち障害者がマスコミに登場するときは、NHK教育テレビの福祉番組、障害者を見ると障害者イコール福祉というステレオタイプばかりで、まるで私たちは福祉の中でしか存在することが許されないかのようです。これこそが、バリアではないのでしょうか?

いまから40年前を思い出します。障害者が町を歩くと「どこの施設から逃げ出してきた?」と声をかけられていました。それが今では「施設」が「福祉」という看板に変わっただけで、別枠の中に閉じ込められ、社会の表舞台から始めから外れている現実は変わりません。

法定雇用率の障害者枠等で減額された給与ではない一般企業での正式雇用、大学や大学院の中にどれだけの障害者がいるのでしょうか?未だに日本の履歴書の中には、身体状況を記載する項目や健康診断を要求します。試験では、他人と同じ時間内で終らなければならないという画一的な基準が当然視されています。

しかし欧米などでは、履歴書の中に性別を記入する欄もなく、写真の添付もありません。写真を見たら人種や性別が一目瞭然だからです。当然ながら、身体的特徴を書くような欄もありません。テストの時などは、別室で本人が納得するまで時間をかけても良く、本人が望めば筆記する人や介護者を同席させ手伝わせてもいいのです。米国のテレビを見ていると、kids番組にはタイトルバックでいつも、アフリカ系アメリカ人の脳性まひの男の子が電動車いすに乗って登場していました。おもちゃ売り場には、バービー人形やテディベアまで車椅子に乗って、一緒に売られています。

ジョージア州アトランタ市には、市の条例に、すべての新築住宅は、玄関に段差があってはならない、ドアの幅は充分広くなければならない、必ず1階に車椅子で使えるトイレが無くてはならないという基準が明記されています。この条例が決まる前に建築された住宅でも、申請すれば改修補助金が交付されるのです。

「何もそこまで・・・」「それは行き過ぎ・・・」と思う人こそ、現実のギャップをもっと知るべきです。だれも「健常」のままで死なないし、「介護」なしに生まれ育ってこなかったはずです。隣人がどのような状態になっても隣人でいられるコミュニティの実現とは、こういう具体的な「変化」の積み重ねです。

以前、地下鉄の全ての駅にエレベーターを設置するように障害者が要求を出したとき「金が掛かる・・」「全ての駅、そこまでしなくても・・」という反応が少なくありませんでした。しかし、今ではベビーカーの親子や杖をついた人、大きな旅行トランクを引いた人、別に特別な理由が無くても、いろいろな人が当たり前に利用しています。車椅子ユーザーが乗ろうとすると、同じ空間にいたくない人は、あわててドアを閉めて締め出すくらい「一般に」普及しています。

だれも疑問を持ちません「このエレベーターがなぜここにあるのか?」などと。

 

 「隠蔽と黙殺が招くもの」

2011-06-16

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自分で歩けない障害者の多くは津波の犠牲になったと想像がつきます。その場にいた人は自分にいろいろ言い訳をしても「見殺しにした」という事実はぬぐいがたく、罪悪感や心の傷は深まるばかりでしょう。あまりの辛さに、中には逆に、かえって優生思想にこりかたまってしまう人もいるでしょう。

しかし、原発の放射能汚染はさらに悲惨な「見殺し」の事実を突きつけているのです。

あたりまえのことですが、強制避難区域の半径20kmは、つまり海岸線では約40kmになります。津波の被害は海岸線から4―5kmの帯状の地域におよびました。上空をヘリが飛ぶことさえなかった、自衛隊も立ち入らなかった40kmもの沿岸地域で起こっただろうことを想像してみましょう。マスコミやそこに住む地域の住民さえ、立ち入らなかった「見捨てられた40km」に本当に人は誰も生存していなかったのでしょうか? 宮城や岩手の被災地での救援活動で救われた命があるのに、それがこの40kmの海岸線の4-5kmにおよぶ帯状の地域では、誰一人救われなかったのです。宮城や岩手の被災地では、かろうじて生き延びた人が、この40kmの沿岸では、3ヶ月も放置された今どうなっているのでしょうか?みんな餓死しているに違いありません。自宅の中で助けを求めて耐えていた障害者や子供たちや老人も、みんな誰からの手も差し伸べられないまま、次々と命を落としていったのです。「きっと、誰かが助けに来る」と信じて疑わず、くる日も来る日も天を仰ぎ続けていた人がいただろうことは、いくら目をそむけたいことでも、直視しなければならない事実です。津波の被害にあった障害者はこのような状態で見捨てられ続けています。

しかも、避難区域に指定されただけで直接被害も外傷もなかった多くの障害者でさえ、国の方針によって、一般の人のいる避難所から何の説明や同意もなく強制的に他府県の施設へ収容されていったのです。いままで、まがりなりにも地域であたりまえに暮らしてきたのに、「命を守る」「あなたのためだから」という建前で、見も知らない施設へ、定員オーバーなのを無理に押し込まれて、そこでの暮らしがどのようなものになるのか?

「障害者のためだ」といって隔離収容してきた過去の歴史を知る者にとって、それは火を見るより明らかです。収容施設では「あなたの自立のため」という謳い文句で、もともと一般より劣るからと排除された入所者の潜在的な劣等感を利用し、「手が掛からない」「健常者並みに出来る」ことを競わせるのです。内部での入所者同士の優劣の序列が生活全般に浸透し、厳しい縦社会を形成しているので、慢性的な介護不足でも施設が運営できる構造になっています。そこに、定員オーバーで、福島=放射能汚染と隠然と忌避される地域から突然やってきた人が喜んで受け入れられるとは思えません。

実際に、自閉症の被災者が移転させられた先の千葉県では、施設から飛び出して溺れて亡くなるという痛ましい事件も起きています。 理由もわからないまま連れて来られた慣れない環境、孤立やそこでの強い人間関係ストレスが、震災後続いていた不安に拍車を掛ければ、パニック状態に陥っても不思議はないと想像できます。

内部被爆の残虐さは、こういう形でも「見殺し」を人々に強制し続けているという点にあるのです。

放射能汚染の事実の隠蔽、見殺しの黙殺、それによって「人間は動けなければおしまい」という風潮に隠然と拍車がかけられています。優生思想は不可視化しつつ根深く浸透し続けています。

これこそが、バリアのない(accessible),手が届きやすく(affordable)維持可能な(sustainable)社会(society)の実現を妨げ続けている元凶なのです。

 

6月12日 シンポジウム「今私たちができることは~東日本大震災を取材・救援の報告から」

2011-06-10

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2011年06月12日(日)午後2時から大阪府箕面市の箕面文化・交流センター 8階大会議室で、映像作家 今村彩子さんの作品上映・シンポジウム でしゃべります。 「ちまちま工房」さんが企画したイベでントです。

ちまこぼ日記より、以下転記します~

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「障害者とともに働き、暮らす」ことを箕面市外で実践されている方の講演会企画の第2弾!

今回は、聴覚障害をもちながら映像作家として活躍されている今村彩子さんをお招きして、上映会・シンポジウムを開催することとなりました。企画当初は、若年層である今村彩子さんご自身が社会起業家であり、今村さんが取り組んでおられる実践にふれることで、若年層の障害をもっている人の労働意欲の向上やともに働くあり方を発見し、箕面市での多様な雇用創出につなげていきたいという思いでスタートしました。

 

その準備している中、東日本大震災が3月11日に起こりました。

そして今村彩子さんが、いち早く被災地(仙台市・名取市・岩沼市)に入り、取材と記録を撮り映像化されました。そのことを知った私たちは、予定していた映画を被災地を記録した「架け橋」に変更し、被災障害者支援活動をしている団体の方をお呼びし、シンポジウムを開くことにしました。

取材を通してろう者の置かれている現状や、被災障害者の支援をしている方から報告いただき、今私たちができることは何か。今必要とされていることは何かを話し、一人ひとりができることを考え、実践につないでいきたい、という強い思いをこめて開催いたします。

皆さまのご参加をお待ちしております。

日 時 : 6月12日(日) 13:00~16:00

場 所 : 箕面文化・交流センター 8階大会議室 (阪急箕面駅下車すぐ)

内容:

1部 ドキュメンタリー映画上映(監督 今村彩子)

「架け橋~東日本大震災 宮城の被災ろう者は今~」

「その1」に続き「その2」も完成し、上映できることになりました!

2部 シンポジウム

「今私たちができることは~東日本大震災を取材・救援の報告から」

シンポジスト

今村彩子さん (映像作家/StudioAYA代表)

今村さんからは被災地を取材する中から見えてきた。主にろうの方々が困っていることなど…撮影してこられた中から意見をいただく。

古井正代さん (脳性まひ者の生活と健康を考える会)

古井さんは西成を拠点として、脳性まひをお持ちで非常に勢力的に活動されています。 被災地へも飛び、被災障害者を順番に訪ねていく活 動をされました。その中から報告していただきます。

コーディネーター:永田千砂(ちまちま工房代表)

参加協力金:500円

(内200円は、義援金としてNPO法人ゆめ風基金へ届けます)

お申込・お問い合わせ 「障害者とともに」を考える企画グループ ちまちま工房

TEL:072-735-7901 FAX:072-725-0244

E-mail:megane@chima-chima.com

http://www.hnpo.comsapo.net/weblog/myblog/634/32926#32926

5月30日のまさよ日記2

2011-05-30

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福島県人は二重の意味で不条理を強いられている。

私が郡山で会ったヘルパーは、その人の家族が1週間前経験した実話を教えてくれた。法事で秋田県に自家用車で行って、その用事が済み帰ろうと思って車に戻ってみると「福島から出るな!早く帰れ」と窓ガラスにスプレーで落書きをされていたというのです。また、別のヘルパーは自分の車に「帰れ!」と書かれたとの経験を語ってくれた。別の作業所のヘルパーの話では、その人の兄が家族と共に仙台に行って駐車場に福島ナンバーの自家用車をおいて、戻ってみると車体がボコボコに壊されていた。宮城ナンバーのレンタカーを借りてやっとの思いで帰ってきたという話もあった。 福島ナンバー、福島産、はことごとく排斥される。しかし、どう考えてみても福島県に住む人だけが原子力発電所事故による環境汚染の元凶であるかのような責めを負うべきだという合理的根拠は何一つ見当たらない。それなのに、どうしてこのような感情に駆られる人がいるのか? 「災害復興」だ、「がんばろう日本」などと、よくわからないスローガンで追い立てられるだけで、一向に先の見えない焦燥感を背景にした、どす黒い社会不安が見え隠れしている。

 

5月30日のまさよ日記

2011-05-30

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被災地の「障がい者生活支援事業所」を訪れてみるとそこでは、子育て期の若い職員はみな避難してしまい、最近までまったく通所支援事業が展開できなかったという。 被災地支援センターふくしま からの継続的なボランティアの応援や人材紹介、残っていた中高年職員や独身の(一部は避難したが)職員の一部も戻ってきて、ほぼ1ヶ月ぶりに通所事業を開始してみた。すると、年老いた親と二人暮らしの50代の中枢神経系の運動障害をもった常連だった人が、変わり果てた姿でやってきたという。この人はそれまでなんとか伝い歩きでトイレでの排泄ができていたが、地震の衝撃でしばらく放心状態が続き、それ以降全く身体を動かす元気もなくっていった。さらに自宅から出る機会がないので身体運動が減り、外部からの訪問サービスもないので、移動にわずかでも身体介助が必要になったら老親の手には負えず、尿意があるのにオムツを使用するようになっていた。尿意がある人がオムツを使用させられるとその人間にどんなことが起こるのか?これこそ、学習性無力感;「自分が何をやっても、状況を変えることができない」という自己効力感の崩壊経験の蓄積がやがて無力感の確信になり生きる気力を失っていく過程そのものである。この人の人間としての自信の回復は、通所の場での仲間や職員との交流を通じて、今ゆっくりと進められていしかないだろう。

5月18日 被災地現地レポート

2011-05-18

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障害者の避難先をおっていわきの山奥にある「総合施設」を訪問しました。数多くの施設が併設されている一方でそれほど多くの話を聞くことはできなかったのですが、ある施設には3名、別の施設には6名(グループホームから5名、在宅から1名)の避難者が来ている(いた)とのことでした。会って話したいと希望してみましたが「風邪がはやっているから会えない」そうです。どのような暮らしを送っているのか、心配が残りました。
ここの職員から聞いた話ですが、今回訪問した総合施設が今抱える第一の課題は、次にもし原発が爆発した際にどこに、どのようにして避難するのかということだそうです。津波に襲われたときには、強制避難区域の20km圏内の施設で、津波の被害を受けずに残った建物に水産高校の所有する実習船をつけてもらい、そこから千葉・静岡の大規模福祉施設へと避難したとのお話でした。次に何かあった際は、施設ごと受け入れてくれる先を長野に確保してあるとのこと、また県や国と相談し移動用のバスを回してくれるよう話をつけてあるとのことです。しかし、これらの話がどれほど施設入所者に伝わっているのか、彼・彼女らがどのように考えているのかを直接聞くことは、上記の理由からできませんでした。
一方で被災に伴う混乱から、自宅で生活していた障害者5名が集まり、いわき市内で一軒家を借り共同生活を始めたというお話もありました。しかし、現在彼・彼女らがどんな生活をしているのか、生活相談業務担当部門では把握出来ていないらしく、逆に被災地障がい者支援センターふくしまの方が訪問し相談に乗るよう依頼されるということがありました。
今回の訪問からは、施設や地域で暮らしている人々が災害に振り回され、その多くは地域から大規模施設へと移っていく流れがあることが浮き彫りになりました。

5月16日の被災地レポート

2011-05-16

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5月11日から再び郡山に入り、避難指定区域や避難所を回ってきました。



 

そこで明らかになったことは、避難所には福島県内から集められた介助を必要とする障害者・高齢者が一時100名以上滞在していたこと、彼・彼女らの多くが現在近隣市町村の大規模コロニーや施設に移動させられているということです。
このことは避難所で救護所に配属されている医師から聞きました。この医師はもともと原子力発電所に隣接する町で開業医をしていたそうです。震災後、彼は酸素ボンベを命綱として暮らす人々を何人も看取ったとのことでした。被災直後、通信網が途切れ孤立し医療機器が不足する状況において、そして避難指示命令が出て避難指定区域内へ届く物資が止まった状況において、ただ死を待つことしかできない人々と彼は時間を過ごしたそうです。さらにその後、医師として担当した他の避難指定区域でも、同様の経験をくりかえしました。彼はもう医療機器の不足から人々が命を落とすことが無いようにしたいと、現在担当している福祉避難所内の救護所では、要介護者を全て医療設備の整っている近隣市町村の施設に送るように取り組み始めました。そのような取り組みが浸透し、現在避難所には介助の必要な障害者・高齢者が一人もいない状態です。医師は県に掛け合い、定員を大幅に上回る人数の要介護者をいずれの施設も受け入れるよう要請したのだそうです。

 


この医師の思いが分からないでもありません。しかし、あえて指摘させてもらうならば、避難所にきてから施設に移送される過程において、現状では障害者の決定権が入り込む余地は無いと予想されます。私たち障害者は、30年間以上ずっと脱施設化に向けて運動を展開してきました。今被災地で障害者がおかれている状況はどうでしょうか。このような災害が起こるたびに障害者は人権も何も無い状況に何度も引き戻されることになってしまいます。
なお、上記の情報は、災害後2ヶ月に渡って「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」が展開した活動の結果明らかになったものではなく、一人の仲間の専門家が当該避難所を訪問したことによりもたらされた情報です。
私たちは明日から、介助の必要な障害者が移送された施設を訪問する活動を開始します。障害者が施設へと隔離され暮らす歴史が再び繰り返されるのではないかと、強く懸念している次第です (A)

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