Archive for the ‘被災地現地レポート’ Category

「福島では地元産の食品を食べていないのが救い」について

2013-01-15

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

広瀬 隆 様

3.11以降「原発いらない福島の女たち」と出会い、IAEAが福島に来ると聞き、いてもたってもいられず郡山に抗議行動に行って、広瀬さんの話を聞きました。今まで、こんなにまとまって放射能と原爆・原発について知る機会がなく、大変勉強になってDVDも予約しました。私たち、日本の脳性まひ者は高度経済成長時代「本来あってはならないてい存在」として、優性保護法によって葬られたようとし、2010年には「産科医療保障制度」で「3000万円の社会負債」と名指しされた障害当事者です。

 

2011年4月以降、被災地障害者支援センターの活動を通じて郡山市・南相馬市・飯舘村などを訪れました。郡山や福島県に数日~数週間繰り返し滞在している間、国や県が「安全盲信」を人々に強要し続け、その狭間でさまよっている人達が大多数である現実を目の当たりに見てきました。それを見抜けたのは、原爆が原発と姿を変え権勢を振るい始めた高度経済成長時代に、「本来あってはならない存在」として親や地域社会から抹殺されようとしたり、大規模施設に隔離され治療の実験台にされたりしてきた、当事者としての経験と重ね合わせる事ができたからかもしれません。「障害者のために」建設された大規模施のように、「復興支援」の呪縛で汚染地帯から逃れられないように閉じ込められた福島県の人たちは、格好の人体実験台とされつつある、放射能汚染で障害児が産まれるかもしれないと堕胎が増えるのを止めたい、そういう立場から見過ごせないと思いました。これらは障害者を殺す優生思想の結果であり、福島の女の人だけに責任を負わせる社会のあり方をこそ問わなければなりません。だから「原発いらない福島の女たち」とタッグを組んで、経済産業省前でも抗議行動に参加してきました。

 

「テレビと新聞が伝えない太郎ホントの話 vol.2 後編」の中盤で、気になる論述がありました。それは「福島では地元産の食品を食べていないのが救い」という件です。たしかに、ハイロアクション福島原発40年実行委員会の人たちや心ある「女たち」の仲間たちは食品の産地を確かめ吟味して暮らしています。しかし、福島の在宅障害者は、国や県が押しつける「安全盲信」に囚われた家族・周囲の手によって、地元産・自家製の作物を口にしてしまっている事実、自分で選択できない現実に、私は心を痛めています。彼らは「親や家族がつくる食べ物を嫌だとは言えない」というのです。社会にはそういう立場でしか生きることが許されない人間がいるのです。



添付写真のように、地元スーパーや農作物直売所では堂々と「福島産」を掲げ、それが日々完売していたようにも見えました。福島県の人が放射能汚染作物を全国にばらまくだけで、自分たちが全く口にしていないのが現実だとは思えないのです。むしろ、「食べなければならない圧力」にさらされ続けている、と強く感じるのですが・・・・。

放射能事故と優性思想については、昨年の地中海小児脳神経学会で招待報告をし、ハワイで開かれた障害学環太平洋会議でも被災地障害者支援センターの活動の一環としてワークショップを開催し、報告してきています。下記のHPをご覧頂ければ幸いです。(http://cp-research.jp/?lang=en

また、毎週金曜日、関西電力前の抗議行動にも参加しているので、そこで知り合った人たちにもこのDVDのことを広げています。折角の勉強になるDVDなで、現実の不安が不問にされる誤解がないように疑問に感じたことを記しました。

 

脳性麻痺者の生活と健康を考える会 古井正代

(なお、この手紙の内容は上記HPにも公開させていただきます)


12月15日「私たち抜きに、福島のことを決めるな!」 IAEA抗議アクションに行ってきました。

2012-12-22

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

私は、被災地障がい者支援センターふくしま代表白石さんの代理として「原発いらない福島の女たち」のよびかけに応え現地抗議行動に参加してきた。私は12年間広島にいたが、比治山にあるABCC(原爆傷害調査委員会)を忘れない。戦後直ぐ日本に乗り込んで原爆生存者の調査はしたが、治療はしなかったという話を被爆者の方から直接聞いていたからだ。国連の下部組織の国際原子力機関(IAEA)もチェルノブイリで同様のことをしていたという。12月15日、郡山のビッグパレットにてIAEAと日本政府の共催による「原子力安全に関する福島閣僚会合」が開かれた。脱原発を宣言していた福島県が、原発と共存せざるをえない筋書きへと書き変えられつつあるようで、これには黙ってはいられない。

2012年12月14日13時、県庁舎西側もみじ公園に「原発いらない福島の女たち」と東京、大阪、兵庫、広島など全国からの支援者が結集した。「原発はいらない」「子どもを守ろう」「IAEAはふくしまへ来るな」それぞれの思いを書いたプラカードを掲げ、様々な旗が空高くなびいていた。オープニング挨拶で佐藤幸子さんは、ありったけの思いを込め「福島の女たちは、自分たちを抜きに福島のことを決めてほしくない」と訴えた。話は続く。「福島県民は、全てがいつもの福島に戻ったかのような実感があるようだ。なぜなら、放射能は降り注いでいるのに、学校行事では夏にプール、秋は駅伝と、まるで以前の生活と変わらない。でも、高い線量の中で生活していいのか悩んでいるお母さんたちがいる。そろそろお母さんたちの中で絶望とあきらめが出てきている。だけどあきらめてはいけない。」と集会参加者へまっすぐなまなざしで語る。未来を生きる子どもたちのために、未来の福島のためにここであきらめてはいけないのだとその思いが痛いほど伝わってくる。もみじ公園から見える阿武隈川も弁天山も目には見えない放射能が降り注いでいるのだ。「「安全宣言」なんてとんでもない」と皆の怒りが公園中を埋め尽くしていた。

 

結集した人々の代表は、「福島へのIAEAの進出をやめさせ、健康被害の過小評価や隠ぺいをなくし、情報公開と子どもたちの避難を実現させる」ことを申し入れるため、県庁庁舎へ入った。申し入れ書を手渡す部屋には10名しか入れないとのことだったが私もその中の一員として部屋へ入った。知事は用務中のため出席できず総務部の菅野氏が代理で申し入れ書を受け取った。申し入れについての回答を求めると「私の方から回答はできませんので、返答については黒田さんへ連絡します」との返事だった。                      

 

 

 

その後、もみじ公園に戻り、申し入れ書の読み上げ報告があった。そのあと、公園を出発し、県庁前を通り「原発いらない」と声をあげながら、福島駅を目指しデモ行進をした。デモ隊の先頭は酪農農家の人だった。亡くなった牛の頭蓋骨を針金で作った牛の骨格の上にのせ、立ったまま餓死した牛が並んだ自分の家の牛舎の写真を掲げた台車を数人で押していた。この先頭車に続き、姫路から参加した二人の女性がかんしょ踊りでデモの列を率いていく。駅付近では、多くの人々が私たちを見ていた。どれくらいの人の理性に、福島の線量は決して安全ではないという事実が届いたであろうか。

私は、デモの先頭だった酪農農家の人に続いて福島駅でマイクを持って訴えた。「家畜は餓死させられましたが、身動きとれない障がい者も置き去りにされ餓死していたのです。この国では障がい者の人権がないのです。気の毒だから。そういう風に思われて生きているだけなのです。放射能汚染で障害児が産まれるかもしれないと福島の女の人が堕胎するのは、障がい者に人権がないからなのです。選ばれたエリートだけが力を持つ世の中では、障がい者を殺す優生思想がはびこっているのです。女だけに責任を負わせる社会であってはいけません。みんなの未来のために、障がい者と女たちとともに、一握りの人の富と繁栄を支えるIAEAと戦っていきましょう。」

その朝、郡山から福島駅へ向かう電車の中で私の介助者が、となりの席の女性と話をした。「孫の甲状腺に0.2ミリの腫瘍?ができているんです」私の介助者も女性も涙が止まらなかった。郡山では、去年も今年も夏に蝉の声を聞かずイナゴの姿も見なかったと聞いた。すでに生態系には異変が起きている。今回、福島県がIAEAを呼ぶのは「世界最高水準の技術」を持っているからだという。チェルノブイリで被爆被害の過小評価をしてきたIAEAを「復興」の名の下に税金を使って呼んだ。まるで事故があったのを忘れたかのように、原発との共存の方向に流されている。しかし現実には、原発事故は何も解決していないし、放射能汚染も収束していない。

2012年12月15日朝、IAEAと日本政府共催の「原子力安全に関する福島閣僚会合」の会場である郡山市のビッグパレットの2ブロック手前に抗議のため全国から約150名が結集した。8時30分から抗議行動主催者の記者会見がおこなわれ、そのあと9時からはじまった抗議行動では、シュプレヒコールや歌、参加者のスピーチなどが続いた。抗議行動150人に対して警察の警備は約6000人が動員されていて、全く会場に近づくことさえできなかった。唯一許されたのは、仮設住宅が設置されている東側とは反対側の西の端の駐車場に、申し入れ書を手渡しに行った時の午前11時30分ころから1時間程度であった。電動車いすの障がい者は私一人だったので結構目立ってしまっていた。

海外からも、反原発・環境活動家が沢山来ていたので英文のビラを渡して、みんなとハグして、しっかり国際交流をした。

抗議行動での私のスピーチは「むかしから障がい者は、健全者に近づけようという名目で人体実験の様な試みの被害に遭ってきました。それは(優れた人が一番で、みじめな障がい者にはなりたくない、衰えたり老いたりしたくない)優性思想がはびこっているからです。そのような経験を持つ障がい者の立場からすると、原発事故後、福島の人々が内部被曝の実験台にされていくのも、被曝した胎児が闇に葬られるのも許せない。」

自分達のことを自分達で決めることが許されないということは、人権が奪われている何よりの証拠である。福島に住み続けることに少しでも内部被曝の不安があるのなら、それを専門家が勝手に安全だと言いきっていいのか。生活していくのは福島県民なのだ。

「原発はいらない福島の女たち」と私達障がい者は声を大にして叫ぶ。

「我々のことは我々ぬきに決めるな!」

障がい者の声をきけ。「原発はいらない福島の女たち」の声を聞け。

                                古井 正代

9月11日 未来を孕む女たちのとつきとおかテント広場行動とその後の福島訪問 

2012-09-17

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

9月11日 未来を孕む女たちとつきとおかのテント広場行動



  

 

9月11日経済産業省前テント村が開設されて1周年のイベント、未来を孕む女たちのとつきとおかテント広場行動に参加しました。(http://totukitouka.info/blog/

 7月29日の国会前行動で知り合った二人の関西の女性と一緒に福島に行こうと約束をしていたので、9月11日経産省テント広場をその福島訪問の基点とすることにしました。 東京の経産省テント広場での行動に参加した後、その晩に郡山市に向かい、9月15日まで4泊5日で滞在し、災地障害者支援センターの白石清春さんの助っ人として福島県内で活動してきました。

 

 

 40歳代の脳性まひの人から「このままでは暮らせない」との相談が被災地障害者支援センターによせられていました。その人は20km圏内に住んでいてで強制退去させられました。仮設住宅に移ったのですが震災前に別居していた老親と再同居させられ、実際暮らし始めてみると設備やスペース面でも全く折り合いがつかず「これでは暮らせない」と困り果てていたといいます。この避難先での自立生活の相談に対する解決策として、車いすで室内で動けて、浴槽も自分で入りやすい形状にカスタマイズした賃貸住宅を調達し自立した暮らしを実現できたというので、その現状を確認に行ってきました。

毎週金曜日の関西電力前の抗議行動

2012-09-10

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

8月3日、8月17日、8月24日、8月31日、9月7日と毎週金曜日、関西電力本前で脱原発の抗議行動に参加し、マイクを持ってしゃべってきました。

福島の人たちの人権は、今、

2012-08-13

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

福島の人たちの人権は、今、この瞬間も間違いなく侵され続けているのです。私たちは原子力発電所の廃炉が地球の未来にとって重要であることを訴えるとともに、現実にはどんどん深刻化しながらも、まったく手の打たれない人命軽視や健康被害の無視について戦わなければいけないと思います。チェルノブイリやスリ-マイルの教訓が示す世界の常識から、せめても「中通り」と言われる地域に住む人たちは、その地域から避難させて、生活できるように保障していかなければならないのです。実際に、その地域に住んでいる人たちが自ら声をどこまで上げられるのかというと、ほとんどの人が声を上げられないでしょう。心のどこかでは、このままでは良くないと誰もが直感していながら、声に出すことを躊躇させる社会的圧力が強すぎます。今、現実に起こっていることを自分への脅威の問題として捉えられないような状態におかれているのです。こんな「あたりまえ」のことが「あたりまえ」にならない現実には根の深い社会の闇が伺えます。この国の近代史における障害に対する社会的態度と障害者自身も含めた人権軽視と似たようなルーツをもつのかもしれません。

 

1.役割期待

私たち障害は生まれる以前から、あってはならない存在、五体不満足な「落ちこぼれ」として位置づけられてきました。みんなの目が同情のまなざしを注ぐ対象としての「かわいそうな存在」の社会的役割だけを期待されて育てられてきました。だから、ありのままの自分を積極的に捉え自分自身の健康について考えるよりも、障害を持った身体を少しでも「健常」な姿形や「機能」に近づかせることを追い求める環境にどっぷりとつかってきました。歩けない障害者は健常者のように歩けるようになること、そのために手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させられたり、ただひたすら個人レベルで「がんばる」ことだけが期待され、自分の身体状況に関係なくそれを信じ込まされてきました。









 

 

 

 

 

内部被爆の基準値が、原発事故の後に恣意的に大幅に引き上げられました。そのうえ指定区域から住民が避難し、仮説住宅が建設された先は、ほとんどが県内の「中通り」です。全壊・半壊で「指定地域以内」でなければ被災証明による支援も受けられません。「指定地域」でなければ、移住を決意しても、他府県の公営住宅への入居さえ許されません。政府の証明が無い人たちには、いくら健康被害への不安があっても、地元に止まりただひたすら「がんばる」ことだけが期待されているのです。福島産の食品はすべて「安全」だと信じ、あえて地元の水を飲み、地元で取れた農産物・水産物を食べ続けることが当たり前となっているかのようです。「中通り」に住む大多数の福島の人たちは、県外へ自主避難しようにも、行った先の受け入れも無く、残留しなければ経済的にも生活がなりたたない厳しい現実があります。郷土を去る必要を国が認めるのは、被害のため生活が奪われた少数の「かわいそうな存在」に限定したいという政府の意図を感じます。証明も無く福島県外に移住すれば、それは郷土愛のない者とでも言われかねない空気なのです。原発事故の後に、健康被害の可能性がとりざたされても、大丈夫だと信じ込まされ地元で「がんばり続ける」人々の姿は、障害者が身辺自立に不可欠だと信じ込まされ歩行訓練に努力しつづけたときの姿と酷似しているように感じます。

 

 

2.過剰な「がんばり」の結果としての健康問題

2001年、イタリアのBottosという研究者が、まだ発育途中の3-8歳児で歩行能力を獲得する前の脳性まひの子供たちを29人集めて、個々に合わせ調製した電動車いすを与えて操作能力の向上についての介入実験を行いました。運動能力がばらばらで知的能力もばらばらな子供たちを6-8ヶ月間調べた結果、操作能力を左右したのは運動機能でもIQでもなく、「練習時間」の長さだけであったと報告しました。また、介入前後で、大きく変化したのは親の子供に対する期待で25人中21人が「運転できないだろう」と否定的だったが、8ヵ月後には25人中23人が肯定的評価で、当初否定的だった21人の親全員が「子供が活発で幸せになった」と言ったといいます。

この実験から言えることは、どんな脳性まひの子供でも、金に糸目をつけず、きっちりとエンジニアが一人ひとりにあわせカスタマイズした電動車いすを与え、練習できる機会さえあれば、電動車いすを乗りこなせるということです。子供は元来好奇心の塊なので環境や条件さえ整えるだけで、大人が気付かないようなことに興味を示し、それらに果敢に挑戦しながら自己形成が図られていったのでしょう。こどもの可能性を開花させるには、まず「挑戦させる」、そのための条件整備を「やってみる」という大人側の覚悟が必要です。

ところが、日本の脳性まひの子供たちでは、歩ける年齢になる前から電動車いす給付をうけられるのは例外的です。欧米のように校区の普通学校に統合教育するのではなく、歩行訓練や障害に応じた対応が充実している環境だと言う根拠で、特別学校に通わせたりしてきています。一般の子供たちと触れ合って遊ぶ経験の場を取り上げ、自分に対する自信や成功体験による心の成長の機会を奪い、健常児と言われている子供たちにとっても自分たちの同世代の仲間として障害児がいると言う認識が育つ機会も奪ってきました。60年前から今だに、変わらない「歩行第一主義」の歩く訓練ばかりが強調され続けています。これが、子供の人生にどのような影響を及ぼしてきたのでしょうか。「歩けなくなったらおしまい」「車椅子は敗北」という価値観を形成させ、手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させ、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込むことになってきました。その結果は、今の40代50代60代の成人脳性まひ者が抱える深刻な健康問題を見ればよくわかります。ほとんどの人に頚椎・腰椎・股関節になんらかの二次障害がでています。最後の最後まで車椅子使わず、がんばって歩く、がんばることがいいこと、首や肩や腰が痛くても歩き続けた挙句、頚椎症などの二次障害を発症し、早い人では20代の後半から遅くても50代までには、若いときと同じように歩き続けることは困難になっています。一般の子供たちと触れ合う余裕も無い場所で育くまれた、20年後・30年後の健康問題に発展する過剰な「がんばり」に警鐘をならす多くの生き証人がいるのに、「がんばり」の刷り込み教育はなかなか止みません。

 

3.今、まず「やってみる」、それで未来は変えられる.

たしかに、40年後50年後の白血病や脳腫瘍、などの内部被爆の健康被害は今すぐに実感しにくいものでしょう。すでに、子供に甲状腺がんの兆しがあれば別ですが、そうでもなければ、環境変化の精神的負担・移住のための経済的負担を負ってまで県外移住を決意する人は多くないかもしれません。しかし、福島の子供達や指定区域外の住民は、若い日本の脳性まひ者のように、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込まれていくのを、なんとか防げないものでしょうか?

さまざまな理由で移住したくても出来ない人を動かすには、イタリアのBottosたちの介入実験のような、徹底的なカスタマイズがヒントになります。「平等に支援を分配するため画一的な条件が必要だ」「個別ニードに対応するのは不可能」という従来型の対応では、本当に有効な移住促進策にはなりません。まず、福島県の「中通り」の子供達や住民が(政府の恣意的に狭く定めた区域指定にかかわり無く)移住しやすいような、思い切った周辺の諸条件の整備を行ってはじめて、個々の事情に合わせたカスタムメイドな対応を可能にする選択肢が用意できます。

たとえば、

l  電力会社に出資してきた金融機関の原発事故への社会的責任の一環として、子供のいる家族の持ち家の震災前の住宅ローンについて、避難移住することを条件に、たとえそれが10万円だろうと1000万円だろうと「全て平等に」無担保・無期限の凍結または棒引きとする

l  全国の空き教室を調査し、その空き教室をいくつかの校舎に集約し、中通の中学校・高等学校を全寮制学校として移住させる(出来れば小学校も)。寮には当該学校の教員を寮教師として配置するほか、寮監には地元大学等の保育・教育系学生を1-2年契約で優先雇用し、勤務経験を教育経歴として、任用中は本務校で休学扱いとする。

l  全国の自治体は移住希望者に対し公営住宅に優先的入居できるよう配慮し家賃を免除する、

l  全国の職業安定所・事業所が移住希望者を優先的に対応・雇用するよう、事業所所得税・国税の減免で誘導する

l  移住先の自治体は国保掛け金を免除し、税制上の優遇措置を講じる(国税の免除・地方税の減免)

 

 

など、移住したくても出来ない人の事情に実効性のある取り組みが必要ではないかと思います。

 

 

4.人権問題に対する軽視.

出来ていたことが出来なくなったら、職場を解雇されても当たり前だ。こんな考えを、障害者自身を含む実に多くの人が抱いています。こんなわかりやすい人権侵害に対して、疑問も感じず、何ら抗うことも無く、にもかかわらず障害者雇用促進には異論を唱えないのが不思議でなりません。障害者雇用促進を言うのなら、現職者の中途障害者を解雇させないことは当然のことでしょう。個人の「できる」「できない」が問題なのではなく、その個人が平等に働けるような職場環境の整備が不十分であることが、障害者の人権を侵しているのです。このことを、障害を理由に解雇された当事者自身が、職場や周囲に気を使い「人権問題」として捉えきれないところに問題の複雑さがあります。人権感覚とは決して目に見えない抽象的なものではありません。たとえば、アクセシビリティについて言うと、欧米では1980年代から、どんな家でも車いすで入れるトイレ、玄関の段差ゼロ、広いドアの必須3条件を満たす一般住宅しか新築を認めない都市が徐々に増えているといいます。施設主義から脱し地域社会に定着するためには欠かせないことです。一方、病院や公共施設には車いすで入れるトイレはあっても、一般家庭では隣人の家は言うに及ばず、自分の家でさえ車いすごとは入れるトイレがある家は珍しいのが日本の実情です。玄関の段差ゼロについては、銀行などいたるところ段差だらけです。日本では国際シンボルマークを掲げた駐車スペースに、我が物顔で平気で駐車していても何の罰則もありません。そのくせ電動車いすには法律で速度制限をもうけています。Bottosのように、本人に合わせカスタマイズする電動車いすで移動の自由を保障するどころか、運転免許のような試験を課して移動の自由を制限する所もあります。20年以上も電動車いすに乗りなれている私でも、調整なしで国産既製品に乗ればまっすぐ進める保障はありません。鉄道では簡易スロープの介助を理由に3-4本列車を待たせて乗せないことも珍しくありません。そもそも、ホームと列車の間の段差は人為的に作られたもので、段差なしのホームも技術的には可能なことです。航空機では国際線からの乗り継ぎであっても、国内線で乗車拒否をします。ある美容院では「会社の方針だ」と車椅子ユーザーを一切拒否し平然としています。個人の行動・移動の自由が基本的人権の一部だという国連の文言があっても、日本では、仏作って魂を入れずで、形骸化させても恥ずかしくないのでしょうか。私たちの行動・移動の自由が基本的人権として保証されれば、ベビーカーもシルバーカーやトランクを持った旅行者など、全ての人の行動・移動がより自由になるはずです。 そう考えると日本では、そもそも、障害者を含めた人間の尊厳や人命の尊重という意識自体が根本から希薄になって、誰も生き残れない社会に向かっているように思えてなりません。

7月29日 国会前20万人デモに参加「原発いらない福島の女たち」とともに

2012-08-01

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

7月29日

7月29日 国会前20万人デモに参加し、「女が変える政治もくらしも原発も」に「原発いらない福島の女たち」とともに参加してきました。国会を囲む会鎖として国会正門前での行動に参加してきました。そこで、これからは障害者と女たちが、真剣にタッグを組むことが大切だとうったえてきました。集会で「福島の女たち」のスピーチのあとで、障害者の立場から「女が加害者にならないように」優生思想について、マイクを持って主張してきました。

7月27日 関西電力前での抗議行動

2012-07-28

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

「福島の女たち」の黒田さんが大阪に来るというので、はじめて、関西電力前での抗議行動に参加。これ以降、毎週金曜日には常連となり、マイクを持ってしゃべるようになる。

翌日(7月28日)にあったZENKO大会では、脱原発のシンポジウムがあり、アメリカやフィリピンや韓国や中東地域からも参加者があり、英文のビラを配りました。そこでもマイクを持ってしゃべった(会場のアクセシビリティと運営も含めた配慮に言及した)ことも相乗効果を発揮して、障害者人権問題に多くの関心をひきつけていた。

6月30日-7月4日  福島県郡山市へ行って現地の障害者や行政と話し合う

2012-07-05

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

6月30日-7月4日  白石清春さんの依頼により、福島県郡山市へ行って現地の人たちに障害者がいかに人権を奪われているのか一緒に討論してきた。また郡山市当局とも話し合い、行政は当時はどのような状態だったのか、避難所はどのように決まったのか、安否確認などはどのようにしていたのか、必要な何故できなかったのか、担当者から詳しく話を聞いてきた。千葉県に一時避難していた障害者収容施設が「仮設」施設を建て福島に戻ってきたというので、そこにも行ってみた。そもそも設置場所が「仲通」の山の中で、放射線量のことを本気で考えているのか疑問だった。トイレやダイニングや風呂の数なども、本当にこれで足りるとは思えないものだった。どうして、こうまでして戻ってこなければならなかったのか、考えこんでしまった。

5月27日 白石さん・橋本さんと福永さんを招いて京都で「災害シンポジウム~障害者の視点で考える~」があり、そこで私が見た福島での障害者の状況について報告しました。

2012-05-30

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

5月27日 京都のITビルで行われた、「災害シンポジウム~障害者の視点で考える~」に主催のNPO法人「わいわいネット・なかま」が福永年久さん・白石清春さん・橋本広芳さんが招いた。わたしも久しぶりに京都に行ってそのシンポジウムで話してきた。白石さんが「被災地障害者支援センター」の活動を紹介しました。そのあと私は自分が実際に現地で見聞きした福島での障害者の状況の報告と、今後の優生思想の蔓延についてについて問題提起しました。

大飯原発の再稼働をとめよう!不都合な真実と向き合う勇気を!

2012-05-05

Warning: Illegal string offset 'keywords_time' in /export/sd202/www/jp/r/e/gmoserver/0/2/sd0190002/cp-research.jp/wordpress-2.8.2-ja-undernavicontrol/wp-content/plugins/internal_link_building.php_/internal_link_building.php on line 103

5月4日5日 経済産業省前テント広場で行われていた脱原発集団ハンストに参加し、24時間のハンストを決行してきました。福島で障害者がどのような状態だったのかを綴ったビラを携えて参加し、多くの参加者と話ししてきました。

  
 

 

 

 

 

いま、大飯原発を再稼働させる動きが出ていますが、福島の教訓に何も学ばない, 世界中から呆れられている、政府に対し国民が暴動を起こさないのが不思議でなりません。今回再稼働させようとする大飯原発から半径50㎞圏が関西のどのような地域を含み、どのようなリスクをはらむのでしょうか、それを糸口にここでよくよく考えてみるべきではないでしょうか。



 

大阪市長や滋賀県知事がきっぱりと反対していたのは、関西の水瓶である琵琶湖が汚染される可能性が高いからに他なりません。そもそも、日本の歴史で原子力発電所の事故が報告されたことのない年はないのは、下図1に示すとおりです。


原子力安全基盤機構の平成18年の報告での上記のグラフが示すように、1基のリアクターにつき平均すると隔年で何らかのトラブルが報告され続けてきたことになります。この対策に、毎年莫大な費用が投じられ続けていながら、それがいざとなったら全く助けにならないことは、福島で証明されているはずです。にもかかわらず、まだまだ不安定な福島第一原発をかかえ東日本全域はいつ高濃度汚染が広がっても不思議でない状態なのに、西日本さえも放射能汚染の危機にさらそうというのは、政府による国家の自殺行為にほかなりません。

4月で「新年度」を迎えたからといって、崩壊へむかう危機的状況が簡単に変わったとは思えません。 現実無視どころか、人々を災禍に巻き込む大飯原発の再開をこの時期に強行する政府を、本気で止める元気がこの国にはないのでしょうか? 福島県に住む人から聞いた話ですが、「福島県産の米は市場に出しても売れないので、ブレンド米に混ぜて市場に出荷している」といいます。さらに、「弁当やおむすびで使われている米にもたくさん混ざっている」ということなのです。この不都合な真実は、震災後の4月5月に国や県が例年通り作付けさせた水田の米の行方について、少し真剣に考えたらわかるはずです。だれもが、うすうす感づいていたはずなのに直視しようとしないことだったのではないでしょうか。いまや、政府が率先して「風評被害」を現実化させ、日本全国津々浦々、食品の安心などないことがわかります。放射線被害の先輩のチェルノブイリの街角では、市場で放射線量をいちいち計測したあと、消費者の判断・自己責任で食品を購入している姿が報道されていました。このようなことは、何年か後に放射線被害で大きな犠牲を出してからでなければ、取り組まないつもりなのではないのでしょうか? 昔から政府というものは報道規制により「井の中の蛙」にした国民を情報操作するのが歴史の常でした。第二次世界大戦の大本営発表でも、「勝利!勝利!」を連発しながら、舌の根が乾かぬうちに「本土決戦」を国民に訴えてはばからなかったではないですか。日本の親達はその口車に乗って、我が子を死に行かせてしまい、大きなこころの重荷を背負ってきたはずではなかったのでしょうか。忘れてはならないことは、それがたとえいくら不都合な事実でも、直視しなければなりません。大日本帝国が世界に誇っていた戦闘機「ゼロ戦」は、「薄い鉄板で軽く作られ機動性が高い代償に、銃弾を浴びると紙飛行機のよう壊れ墜落していったが、分厚い鉄板がパイロットの命を守るグラマンとは対照的であった」と当時開発にあたったエンジニアが戦後になって苦い思いで回想しているではありませんか。国民の命を軽んじる人権感覚の無さは今もそれほど変わらない、いやむしろ、もっと残虐さを増してきているのではないでしょうか。

ここで私たち障害者が福島の原発事故の後に、どのような状態に置かれたのか、もう一度現実を振り返って確認しておく必要があります。 数時間で一斉に退去しなければならないと指示を受けても、自分で動けない人たちは家に残されたまま、餓死し、病院の中でも医師や看護師が先に避難し残された人たちがおりその後自衛隊などが救出にむかったといいますが、その過程で何十人もの人が移動中に命を落としていたのです。一命を取り留め遠隔地の施設に収容された後も、伝達不足や不慣れな環境が原因で命を落としたといいます。これらの事実を政府は黙殺しようとしているとしか思えません。国民の中には「退去命令」ひとつで走って逃げられる者もいればそうでない者もいることは「想定外」で、そういう国民が大量に犠牲になるのは自然の摂理だとでも考えていなければ、このような暴挙は企てられようがありません。人の命の重みや人権に対する日本の国家・社会・人々の態度が今こそ問われ、震災以降、このような視点で日本が世界から注視され続けているのです。 これを、いつまで無視し続けるつもりなのでしょうか。

高度経済成長期の日本で1968年から親による障害児殺しが頻発し、そのたびに親に同情した世間・マスコミが減刑嘆願キャンペーンを唱え、実刑判決を免れて当然という社会概念が形成されてきました。私たち日本の脳性まひ者には、実の親から首に手をかけられ、命からがら生き延びた経験を持つものが多かったのです。そのような立場から「わたしたちは殺されて当たり前の存在なのか?」と、当時の世間の風潮に異論をとなえなければ明日の命が保証されなかったのが、当時の日本の障害者の直面した厳しい現実だったのです。世間の景気が良くなればなるほど経済の論理が支配的になり、生産性のない、足手まといの障害者は、大規模収容施設など社会の見えない場所へと「闇から闇へと」葬られ始めていました。その最たるものが、「優生保護法改正案」のいわゆる胎児条項で、障害を理由に胎児を堕胎することを法的に認め、遺伝疾患への去勢手術とあいまって、障害児者を積極的に「予防」(皆殺し)にし、生存権を否定しようとしていたのです。これは、地方行政レベルでも「経済の論理」を背景に強力に推進されました。たとえば当時の兵庫県知事は「障害児が一人生れると一生で巨額の国家の経済損失で、ゆゆしき問題」という理由で「不幸な子供が生まれない」対策室を発足させるなど、多くの都道府県で類似の障害者撲滅キャンペーンが展開され、私たちも全国各地でこれに異議を唱え非暴力直接行動を組織していった歴史があることをわすれてもらっては困ります。

実際に私自身、1歳半で遠方の大学病院の専門医に診断をうけ「CPです」と宣告され、ショックを受けた母が帰り道の走る列車から私を抱えてと飛び降りようとしたという経験を持ちます。危ういところで祖父が止めていなければ、今ここに生きていなかったでしょう。ところがそれから50年後、この「不幸なこども」とされる私の、障害者として地域社会に根を張って、存在感をアピールしながら制度・人・モノを自由自在に駆使して生き抜いてきた経験が、交通事故による脳挫傷・鬱病・脊髄腫瘍で車椅子生活になった母の第二の人生を、その人生の最後の瞬間までサポートすることになったのです。我が子に障害があると診断されたとき一旦は絶望しきった母でしたが、家にひきこもりがちになった往年には、その「我が子」の私に引っぱられる形で障害者としての人生を一緒に楽しめたと感じています。(2009 APHA 139thAnnual Meeting &Expo: http://apha.confex.com/apha/137am/webprogram/Paper213240.html )

にもかかわらず、産科医療が脳性まひ裁判で危機に瀕しているという一方的な主張で、2009年に産科医療保障制度が開始されのです。その時、私たちの呼びかけに答えた心ある人たちの異議申し立て・抗議も政府は黙殺しました。障害の有無を問わず市民として誇りを持って平等に生活できる社会を国家の責任として実現することを放棄し、巨額の公費を投じ民間保険会社に委託したうえ、支援対象を厳しく限定させました。産科医を通じて全国の妊産婦から一律3万円徴収した掛け金年間300億円から、満期出産、正常分娩、身体障害者手帳1級相当の重度のCP、等と多くの条件を付けたうえで、一人当たり3000万円を上限にした補償を支払うというのです。これは、CPを「3000万円の損失だ」とすべての妊婦に妊娠初期から明示し、「あってはならない存在」だと印象付け、生命選択へ巧妙に誘い込む仕掛けでしかありません。

(25th Pacific Rim International Conference on Disability  p64: http://www.pacrim.hawaii.edu/pacriminfo/pacrim2009/downloads/program/pdf/pacrim2009_program.pdf  )

原発事故と津波以降、だれもがこれから起きる内部被ばくについてますます敏感に反応していくことでしょう。実際、現実に福島の若い女の人たちの中に「結婚できない」と口にする人も少なくないとききます。これらの「本音」の裏には、障害者を生みたくない、育てたくない、という意識が見え隠れしているのです。ここからも障害児の生命の選択が、政府や医療者主導ではなく、優生思想による価値観を持たされてしまうたちの「意志決定」という、巧妙な方法で徹底されていく未来が見てとれます。

歴史上前例のない高齢社会に突入し、誰もが人生の後半で何らかの障害とともに生きなければならない今日の日本では、生まれながらの障害者が生き抜いてきた経験から学ぶべきことは多いはずです。障害者のもつ予想外の可能性が、今や、この国の将来を救える唯一の希望であるかもしれないのです。なのに、そんなことはおかまいなしに、このままとことん突き進むつもりなのですか?いまこそ、すべての人に問いたいとおもいます。私たちの首を絞めれば、あなたたちの未来はないと。

 

 

 

« Older Entries
Copyright© 2010 脳性まひ者の生活と健康を考える会-代表古井正代のホーム-ページ All Rights Reserved.