Archive for the ‘震災と原発’ Category

6月30日-7月4日  福島県郡山市へ行って現地の障害者や行政と話し合う

2012-07-05

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6月30日-7月4日  白石清春さんの依頼により、福島県郡山市へ行って現地の人たちに障害者がいかに人権を奪われているのか一緒に討論してきた。また郡山市当局とも話し合い、行政は当時はどのような状態だったのか、避難所はどのように決まったのか、安否確認などはどのようにしていたのか、必要な何故できなかったのか、担当者から詳しく話を聞いてきた。千葉県に一時避難していた障害者収容施設が「仮設」施設を建て福島に戻ってきたというので、そこにも行ってみた。そもそも設置場所が「仲通」の山の中で、放射線量のことを本気で考えているのか疑問だった。トイレやダイニングや風呂の数なども、本当にこれで足りるとは思えないものだった。どうして、こうまでして戻ってこなければならなかったのか、考えこんでしまった。

6月17日 大飯原発のある福井県庁前での抗議行動!

2012-06-17

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6月17日 大飯原発のある福井県庁前での抗議行動に参加し、障害者の立場からのメッセージをビラにして配った。内容は、白石清春さんの書いた「福島県民として物申す」と、わたしの作ったビラを持参した。しかし、ビラだけでは効果が無いと思い、マイクを持ってしゃべって、障害者の立場から問題提起をしてきた。確かに障害者は何人か参加していたが、ビラを配ったり、マイクを持ってしゃべったのは私しかいなかった。

 

6月7日 国会前でダイイン!!

2012-06-17

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国会前でダイインの後、抗議行動に参加しました。

障害者を殺す原発はいらない(人命を危険に曝す無謀な大飯原発の再稼動)6/7緊急行動!!

2012-06-03

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政府は何が何でも大飯原発再稼動の方向で強行するつもりです。原発の再稼動なんて、フクシマから何も学ばない無謀な行為です。

小学生でも判る愚考を人々が支持していると、日本の総意だと誤解させてはなりません!!

5月5日のハンストで知り合った「原発いらない福島の女たち」の黒田節子さんから、以下のメッセージが届きました。

私も 福永年久さんも、駆けつけようと思っています。

ひとりでも参加できる方は、一緒に経済産業省テント前に行きましょう !

昨年末のNHKの調べでも東日本大震災での死者は健常者の2倍に上り、ひとたび何かが起これば障害者は真っ先に犠牲になることが明らかになっています。 生まれる前、生まれてからと、これ以上、命を危険にさらすのに反対なら態度で示そう! みんなでNOと言おう!

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昨日今日で決まったことです。7日12時、経済産業省前テント集合、それから国会前に移動します。ダイインと座り込み。

よびかけ:原発いらない福島の女たち。よろしく拡散願います。節子

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5月27日 白石さん・橋本さんと福永さんを招いて京都で「災害シンポジウム~障害者の視点で考える~」があり、そこで私が見た福島での障害者の状況について報告しました。

2012-05-30

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5月27日 京都のITビルで行われた、「災害シンポジウム~障害者の視点で考える~」に主催のNPO法人「わいわいネット・なかま」が福永年久さん・白石清春さん・橋本広芳さんが招いた。わたしも久しぶりに京都に行ってそのシンポジウムで話してきた。白石さんが「被災地障害者支援センター」の活動を紹介しました。そのあと私は自分が実際に現地で見聞きした福島での障害者の状況の報告と、今後の優生思想の蔓延についてについて問題提起しました。

大飯原発の再稼働をとめよう!不都合な真実と向き合う勇気を!

2012-05-05

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5月4日5日 経済産業省前テント広場で行われていた脱原発集団ハンストに参加し、24時間のハンストを決行してきました。福島で障害者がどのような状態だったのかを綴ったビラを携えて参加し、多くの参加者と話ししてきました。

  
 

 

 

 

 

いま、大飯原発を再稼働させる動きが出ていますが、福島の教訓に何も学ばない, 世界中から呆れられている、政府に対し国民が暴動を起こさないのが不思議でなりません。今回再稼働させようとする大飯原発から半径50㎞圏が関西のどのような地域を含み、どのようなリスクをはらむのでしょうか、それを糸口にここでよくよく考えてみるべきではないでしょうか。



 

大阪市長や滋賀県知事がきっぱりと反対していたのは、関西の水瓶である琵琶湖が汚染される可能性が高いからに他なりません。そもそも、日本の歴史で原子力発電所の事故が報告されたことのない年はないのは、下図1に示すとおりです。


原子力安全基盤機構の平成18年の報告での上記のグラフが示すように、1基のリアクターにつき平均すると隔年で何らかのトラブルが報告され続けてきたことになります。この対策に、毎年莫大な費用が投じられ続けていながら、それがいざとなったら全く助けにならないことは、福島で証明されているはずです。にもかかわらず、まだまだ不安定な福島第一原発をかかえ東日本全域はいつ高濃度汚染が広がっても不思議でない状態なのに、西日本さえも放射能汚染の危機にさらそうというのは、政府による国家の自殺行為にほかなりません。

4月で「新年度」を迎えたからといって、崩壊へむかう危機的状況が簡単に変わったとは思えません。 現実無視どころか、人々を災禍に巻き込む大飯原発の再開をこの時期に強行する政府を、本気で止める元気がこの国にはないのでしょうか? 福島県に住む人から聞いた話ですが、「福島県産の米は市場に出しても売れないので、ブレンド米に混ぜて市場に出荷している」といいます。さらに、「弁当やおむすびで使われている米にもたくさん混ざっている」ということなのです。この不都合な真実は、震災後の4月5月に国や県が例年通り作付けさせた水田の米の行方について、少し真剣に考えたらわかるはずです。だれもが、うすうす感づいていたはずなのに直視しようとしないことだったのではないでしょうか。いまや、政府が率先して「風評被害」を現実化させ、日本全国津々浦々、食品の安心などないことがわかります。放射線被害の先輩のチェルノブイリの街角では、市場で放射線量をいちいち計測したあと、消費者の判断・自己責任で食品を購入している姿が報道されていました。このようなことは、何年か後に放射線被害で大きな犠牲を出してからでなければ、取り組まないつもりなのではないのでしょうか? 昔から政府というものは報道規制により「井の中の蛙」にした国民を情報操作するのが歴史の常でした。第二次世界大戦の大本営発表でも、「勝利!勝利!」を連発しながら、舌の根が乾かぬうちに「本土決戦」を国民に訴えてはばからなかったではないですか。日本の親達はその口車に乗って、我が子を死に行かせてしまい、大きなこころの重荷を背負ってきたはずではなかったのでしょうか。忘れてはならないことは、それがたとえいくら不都合な事実でも、直視しなければなりません。大日本帝国が世界に誇っていた戦闘機「ゼロ戦」は、「薄い鉄板で軽く作られ機動性が高い代償に、銃弾を浴びると紙飛行機のよう壊れ墜落していったが、分厚い鉄板がパイロットの命を守るグラマンとは対照的であった」と当時開発にあたったエンジニアが戦後になって苦い思いで回想しているではありませんか。国民の命を軽んじる人権感覚の無さは今もそれほど変わらない、いやむしろ、もっと残虐さを増してきているのではないでしょうか。

ここで私たち障害者が福島の原発事故の後に、どのような状態に置かれたのか、もう一度現実を振り返って確認しておく必要があります。 数時間で一斉に退去しなければならないと指示を受けても、自分で動けない人たちは家に残されたまま、餓死し、病院の中でも医師や看護師が先に避難し残された人たちがおりその後自衛隊などが救出にむかったといいますが、その過程で何十人もの人が移動中に命を落としていたのです。一命を取り留め遠隔地の施設に収容された後も、伝達不足や不慣れな環境が原因で命を落としたといいます。これらの事実を政府は黙殺しようとしているとしか思えません。国民の中には「退去命令」ひとつで走って逃げられる者もいればそうでない者もいることは「想定外」で、そういう国民が大量に犠牲になるのは自然の摂理だとでも考えていなければ、このような暴挙は企てられようがありません。人の命の重みや人権に対する日本の国家・社会・人々の態度が今こそ問われ、震災以降、このような視点で日本が世界から注視され続けているのです。 これを、いつまで無視し続けるつもりなのでしょうか。

高度経済成長期の日本で1968年から親による障害児殺しが頻発し、そのたびに親に同情した世間・マスコミが減刑嘆願キャンペーンを唱え、実刑判決を免れて当然という社会概念が形成されてきました。私たち日本の脳性まひ者には、実の親から首に手をかけられ、命からがら生き延びた経験を持つものが多かったのです。そのような立場から「わたしたちは殺されて当たり前の存在なのか?」と、当時の世間の風潮に異論をとなえなければ明日の命が保証されなかったのが、当時の日本の障害者の直面した厳しい現実だったのです。世間の景気が良くなればなるほど経済の論理が支配的になり、生産性のない、足手まといの障害者は、大規模収容施設など社会の見えない場所へと「闇から闇へと」葬られ始めていました。その最たるものが、「優生保護法改正案」のいわゆる胎児条項で、障害を理由に胎児を堕胎することを法的に認め、遺伝疾患への去勢手術とあいまって、障害児者を積極的に「予防」(皆殺し)にし、生存権を否定しようとしていたのです。これは、地方行政レベルでも「経済の論理」を背景に強力に推進されました。たとえば当時の兵庫県知事は「障害児が一人生れると一生で巨額の国家の経済損失で、ゆゆしき問題」という理由で「不幸な子供が生まれない」対策室を発足させるなど、多くの都道府県で類似の障害者撲滅キャンペーンが展開され、私たちも全国各地でこれに異議を唱え非暴力直接行動を組織していった歴史があることをわすれてもらっては困ります。

実際に私自身、1歳半で遠方の大学病院の専門医に診断をうけ「CPです」と宣告され、ショックを受けた母が帰り道の走る列車から私を抱えてと飛び降りようとしたという経験を持ちます。危ういところで祖父が止めていなければ、今ここに生きていなかったでしょう。ところがそれから50年後、この「不幸なこども」とされる私の、障害者として地域社会に根を張って、存在感をアピールしながら制度・人・モノを自由自在に駆使して生き抜いてきた経験が、交通事故による脳挫傷・鬱病・脊髄腫瘍で車椅子生活になった母の第二の人生を、その人生の最後の瞬間までサポートすることになったのです。我が子に障害があると診断されたとき一旦は絶望しきった母でしたが、家にひきこもりがちになった往年には、その「我が子」の私に引っぱられる形で障害者としての人生を一緒に楽しめたと感じています。(2009 APHA 139thAnnual Meeting &Expo: http://apha.confex.com/apha/137am/webprogram/Paper213240.html )

にもかかわらず、産科医療が脳性まひ裁判で危機に瀕しているという一方的な主張で、2009年に産科医療保障制度が開始されのです。その時、私たちの呼びかけに答えた心ある人たちの異議申し立て・抗議も政府は黙殺しました。障害の有無を問わず市民として誇りを持って平等に生活できる社会を国家の責任として実現することを放棄し、巨額の公費を投じ民間保険会社に委託したうえ、支援対象を厳しく限定させました。産科医を通じて全国の妊産婦から一律3万円徴収した掛け金年間300億円から、満期出産、正常分娩、身体障害者手帳1級相当の重度のCP、等と多くの条件を付けたうえで、一人当たり3000万円を上限にした補償を支払うというのです。これは、CPを「3000万円の損失だ」とすべての妊婦に妊娠初期から明示し、「あってはならない存在」だと印象付け、生命選択へ巧妙に誘い込む仕掛けでしかありません。

(25th Pacific Rim International Conference on Disability  p64: http://www.pacrim.hawaii.edu/pacriminfo/pacrim2009/downloads/program/pdf/pacrim2009_program.pdf  )

原発事故と津波以降、だれもがこれから起きる内部被ばくについてますます敏感に反応していくことでしょう。実際、現実に福島の若い女の人たちの中に「結婚できない」と口にする人も少なくないとききます。これらの「本音」の裏には、障害者を生みたくない、育てたくない、という意識が見え隠れしているのです。ここからも障害児の生命の選択が、政府や医療者主導ではなく、優生思想による価値観を持たされてしまうたちの「意志決定」という、巧妙な方法で徹底されていく未来が見てとれます。

歴史上前例のない高齢社会に突入し、誰もが人生の後半で何らかの障害とともに生きなければならない今日の日本では、生まれながらの障害者が生き抜いてきた経験から学ぶべきことは多いはずです。障害者のもつ予想外の可能性が、今や、この国の将来を救える唯一の希望であるかもしれないのです。なのに、そんなことはおかまいなしに、このままとことん突き進むつもりなのですか?いまこそ、すべての人に問いたいとおもいます。私たちの首を絞めれば、あなたたちの未来はないと。

 

 

 

環太平洋国際フォーラム・環太平洋障害と多様性学会2012でしゃべりました!

2012-03-28

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3月24-25日に開催された「障害者の人権に関する環太平洋国際フォーラム」に「環境と障害と人権」分科会座長として招待されました。

同行した白石清春さんも「気象異常・防災・災害復興での人権的アプローチに関するパネルディスカッション」のパネラーとして日本の被災地障害者の人権問題について講演して注目を浴びました。

 

初日の夜のレセプションでは、午前中に「世界的障害者権利運動を地元政策に反映させる」と題したパネラー講演で、自ら脳性まひ者として、黒人としてのプライドをどのように社会に示してきたかを快活に語ったアメリカのキース・ジョーンズ、

地域包括防災対策を障害者地域生活の定着化として実践しているニュージーランドのマルティーナ・アベル、障害者国際クリアリングハウスのスーザン・シーゲル、米国脳性まひ財団(UCP)「車椅子と人権プロジェクト」インドネシア支部長リナワティ・ウタミ、など世界中から集まった障害当事者人権活動家たちと意気投合しました。ほとんどが、わたしたちより一回り以上若い世代で、もはや、国内ではほとんど語られることもなくなった1970年代日本の障害者運動の話をすると、だれもが目を輝かせて、聞き入っていたのが印象的でした。またも、世界に波紋を投げかけたのかもしれません。

 

 

また、私がPittsburgh 在住の頃から関わりのあったADAPT(アメリカを象徴するような障害者権利運動団体)のメンバーで活動の写真を30年以上撮り続けてきた写真家トム・オーリンとADAPTメンバーも私たちに感心旺盛といった感じでした。

翌日のフォーラム2日目で同席していたUCPの国際部門の会長から聞いた驚くべき実話です。東日本震災直後にUCPが「一人でもたくさんの人に役立ててもらいたい」と電動車椅子50台を送りたいと、いち早く申し出たそうです。でも政府関係者がその意向を断ったという話を教えてくれました。どうしてそうなったのか理由を訊くと、その電動車椅子が米国製の中古だったので、「その後のメンテナンスが困る」「輸入代理店の独占契約に抵触する」ということが辞退の理由だったといいます。にもかかわらず「新車ならいただきたい」という日本のNPOを紹介してきたので、そこに台数は数台だが新車の電動車椅子を送ったそうです。「しかし後で調べてみたら、送った電動車椅子はその団体がすべて売却し換金し、実際には意図していた被災地には届いていないことがわかって、呆れはててしまった。日本という国では、一体どのようにしたら、支援物資が本当にそれを必要とする人に届くのか?」と逆に質問されてしまいました。 「障害者の事は障害者自身で決める」”Nothing about us without us.”という大原則が、今の日本でいかにないがしろにされているか思い知らされました。そのような当事者ぬきの結果として、「同情するなら金よこせ」と言わんがばかりに障害者を食い物にする日本人がいかに多いことか、海外から奇異の眼で視られるのも無理もないことなのだとつくづく実感しました。(http://www.pacrim.hawaii.edu/internationalforum/2012/)

 

 

3月26-28日に開催された「障害と多様性に関する環太平洋学会」PacificrimConference 2012では、2時間人権ワークショップ「東日本大震災、津波、原子力発電所事故と福島における障害者に対する人権侵害」を企画し講演してきました。(http://www.pacrim.hawaii.edu/pacriminfo/pacrim2012/events/workshops/workshop11.php)



ねらい:このワークショップは東日本大震災、津波、原子力事故後の福島での障害者の人権侵害と国連障害者の権利条約(Convention for the Rights of Persons with Disabilities: CRPDと略す)違反を概観しました。日本のマスメディアは震災後のCRPD違反にはほとんど言及していませんし、「不都合な真実」は無視されてきて、障害者の権利は黙殺され続けています。だから、国際社会にこの事実を知らせることで、震災後における障害者差別と人権の立場からの議論を喚起したいと、企画しました。

概要: 東日本大震災、津波と原子力発電所事故後の福島では、日本の障害者の人権はひどく侵害されています。災害の後何ヶ月たっても、障害者はますま苦しい権利侵害を余儀なくされています。講演者の白石清春氏は震災直後に、広く福島県下の障害者団体に大同団結を呼びかけ「JDF 被災地障害者支援センター福島」を設立し、代表としてセンターを運営してきました。センターの活動を通じ、障害当事者自身が困難の現場に出向き、事実の証人に直接会いに行くことで、それに呼応した多くの人々が心を開いたのです。現場で何が起きたのか災禍の目撃証言をはじめ、実際に混乱の中での方針決定や実施に関与させられることになった人たちや強制非難地区に指定された当初にそこに住む障害者の身に起こった、語られることのなかった真実などを含む非常に貴重な情報を集めることができました。これまで報道されなかった、被災障害者の身に起こった差別と人権侵害を目の当たりにして、地域社会で障害をもった人々 が平等に生きることを困難にしている障壁の厳しい現実について、深く考え直すことができました。これらのセンターの支援活動の過程における考察も含めて、これまで決して語られることのなかった障害者ならではの視点から見た情報を提供し、「不都合な真実」を直視する勇気を持とう!という議論を提起してきました。

 

 

第17回地中海小児神経学会でしゃべってきました。

2011-09-17

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2011年9月14日-17日 地中海沿岸のピランという町で開かれた17th Congress of Child Neurologists of Mediterranean(第17回地中海小児神経学会)の大会長のDr.Milivoj Perat  に特別報告者として招かれて、「地震・津波・放射能汚染での障害者の現実」The Reality of People with Disabilities after Quack, Tsunami, and Radiation Contaminationと題して、福島の現実を訴えてきました。

割り当てられた時間は15分だったので省略し手しまった部分も復活させて含めた完全版プレゼンテーションは以下のとおりです。

 

2011年7月30日 まさよ日記 「安全安心の暮らしシンポジウム」で話してきました。

2011-08-07

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7月22日 被災地への障害当事者による支援とは?

2011-07-23

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7月22日 ゆめ風基金(阪神淡路大震災の時から被災地障害者支援のために設立された基金)の報告会に行ってきました。宮城と岩手の方は、送迎車で送迎をして忙しく充実した活動をしているという報告でした。福島に何回も訪問した経験から、原発の避難地域では、地域丸ごとの避難なのであたりまえに障害者も存在していたけれど、津波の後の被災地域の沿岸部ではほとんど障害者の生存者は見つかりませんでした。だから、「宮城と岩手にだけ、そんなに忙しく送迎したりするほど、障害者が津波の被災地の沿岸地域にたくさんいるのだろうか?」と不思議に思い質問したら、やはり想像通り「障害者はほとんどいなくて、対象者の大多数は高齢者です」という答えがかえってきました。だから、これは「障害者への救援活動」だと思って出資した人たちの意図からすると、微妙な「ずれ」が生まれるのです。厳密に言えばあくまでも「障害者として自覚した当事者のための救援活動」であるべきで、高齢者の多くに障害当事者としての自覚がない事は無視できないことなのです。言葉にすればわずかの「ずれ」ですが、この微妙に角度がずれたまま、そのまま突っ走るとやがてはとんでもなく違った方向へ行くことにもなりかねません。とっても大切な時期なので、そして、今こそ障害者の当事者としての社会的存在意義をひときわ輝かせるべき時なので、あえてここで強調しておきたいと思います。

わたしも、義理の父や実の母の介護をした経験から、「老人」はだれでも、たとえ自分が動けなくなっていても「自分はあんたら(障害者)とは違う」という意識がぬぐいがたく存在することを、身にしみています。そして、この「上から目線」自体が、当の「老人」達自身を縛り付け・閉じ込め・苦しめ・やがて自殺(消極的自殺もふくめ)に追いやる元凶であることに、全く無自覚なのです。宮城や岩手の、この送迎のいるような「老人」たちは、ほとんどの場合もうすでに消極的自殺への階段を下り始めています。そう思ってつきあわないと、私たちのような「生まれてこの方、記憶にある限りずっと障害者」と同じようにつきあって安心していると、大きな落とし穴にはまるのです。この「老人」たちにこそ障害者として胸を張って生きていくように、当事者として、新しい人生を生まれ変わって生きていく自覚を持たせなければなりません。それこそ何十年も、どっぷりと浸かりきってきた五体満足万能主義(優生思想)を根底から覆す大仕事なのです。アメリカでは国民の1/5 が障害者だということが常識ですが、日本では高齢化率がアメリカのほぼ2倍なのに国民のたった5%しか障害者がいないと言って憚らないのですから。この国では障害は、いかにスティグマで、いかに少数派で、無かったことにしたい、抹消したい、忘れておきたい「不都合な実在」なのです。障害者を5%にするための狭い入り口の門番として医師に「重篤な」「困難」や「逼迫した」状態であることの「証明」をさせておいて、その「証明」をもって「有資格障害者」とするという、二重三重の「関所」をもうけて世界の常識からほぼ半世紀のあいだ鎖国を続けてきました。少数派ですから当然、限られた予算に押し込めることも容易です。でも国民の五分の一以上の問題であれば、一般会計の問題になりOpenな議論にさらされ、これまで隠し続けてきた「不都合な真実」があきらかになります。これは、3.11以降に福島県内に線を引き、そこから「安全」と「被曝」を恣意的に選んで、都合の悪い真実から目をそむけたいと諍った姿勢とまったく同じ「ふるまい」です. このような愚かな「その場しのぎ」は、かならず未来に大きな禍根を残すということを、日本の歴史は何回繰り返せばいいのでしょうか?

メインストリーム協会と夢宙センターの人たちが、介護者を2名つけて岩手に救援活動にこれから入るという報告がありました。これは実はとってもあたりまえのことで、もっと震災直後から障害者自身が多数現地に出向いて救援活動に関わる必要があったと思います。障害者の自立運動に健全者がはいり込み、健全者ペースで議論や物事の決定をすすめたり、代弁するということになれば、私たち障害当事者の主体性が疑問視されて当然なのですから・・・。私が以前に福島に白石さんの助っ人に入ったというと、障害者も健全者も口を揃えて「ええっ!!邪魔だったんじゃないの?」「行って何するの?」「足手まといにしかならないじゃないか?」という声がわきおこりました。そういう価値観・常識こそが障害者の主体性を圧殺し、健全者が必要で障害者は不要という社会意識を拡大再生産し続けていることに、はっきり気づくべきです。障害者の自立や救援活動に賛同して集められた資金は、当然のこととして、救援に行く障害者に必要な条件や介護費用にもっともっと使われるべきなのではないでしょうか? それこそが、国連の権利条約にある合理的配慮であり、こんなことさえ社会に定着させられないのでは、もはや日本に未来はありません!!!

 

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