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母体の血をのぞき見て~母体血検査と原発

2013-12-20

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この文章は2013年10月27日に兵庫県西宮市男女共同参画センターでおこなわれた「母体の血をのぞき見て」という集会で私が「母胎血検査と原発」というテーマでおこなった講演の内容を基に文章にしたものです。
下にそのときに録音した音声も投稿しております。


人災による悲劇と、そこから起こるさらなる悲劇

国会の原発事故調査委員会が「明らかに人災」とした悲劇的な事故ですが、
この人災という言葉は重く私たちにのしかかってきます。原発を推進してきた原発村と政府、
さらにはその利益を無頓着に享受してきた私たち国民。この事故は悔やんでも悔やみきれません。
私は悲劇がこれだけでは終わらず、
今後、新たに「人の起こす災い」を生んでしまうのではないかと危惧しています。
この危機感は原発事故後に導入されることとなった母体血検査により現実味を帯びてきました。
「直ちに健康に影響はない」という違和感がある放射能の呪文は、
暗に「将来にわたっての不安」を彷彿とさせます。
その不安のもとで出産を迎えるお母さんは、命の選別を迫る母胎血検査を受けずにいられるのでしょうか・・・。
私には母親達が無意識の優性思想により苦悩し「子殺し」を選ぶ未来が頭に浮んでしまいます。

被曝が誘発する優性思想

私は原発事故自体が優性思想を爆発させる仕組みを内包していると考えています。
その仕組みとは放射能の不安から始まります。放射能は目に見えず、その影響も目に見えません。
目に見えないからこそ不安になるのです。「漠然として理解できない不吉な予感」それこそが不安であり、対象のない予感では対処する方法はありません。対象物を見つけ恐怖に変ることで初めて対処することができるのです。ですから私たちは安易に恐怖の対象を探してしまいがちなのでしょう。
被曝や原発事故の不安はどの様な恐怖に変るでしょうか?
原発事故の人体への影響について考える時、一番はじめに思い起こされるのはチェルノブイリでしょう。
国連総会でも上映された「チェルノブイリ・ハート」という2003年のドキュメンタリー映画では映像と共に先天性の奇形児や障害児が増えていると紹介されています。原発事故・被曝はこのイメージが強いと思います。
そしてそのイメージは恐怖の象徴のように語られます。
そこに障害者を産み育てることへの不安も加わり、子供への障害が恐怖に変わってしまう。
ここまでくれば優性思想へ向かう道のりができてしまいます。
原発事故がきっかけで起こる被爆への不安が障害への恐怖に変わり優性思想につながるのです。
そこに追い打ちをかけるように国の「直ちに健康に影響はない」という放射能の呪文と
開示する情報の不透明さが不安をあおり、動植物の奇形や奇形児・障害児を反原発の中心におく一部の反原発運動もその助けになっているように感じます。
さらに付け加えるなら障害者を産み育てることへの不安を育む社会も加わることで福島の原発事故は優性思想を爆発させます。

命の選別はすべきではない

そのことを踏まえた上で結論からお話しします。
原発に起因する被曝の深刻な影響がこれから産まれてくる子供たちに現れる可能性は高いと言われます。
そうだとしても、皆さんには生まれる全ての命に対して共に生きる覚悟をお願いしたいのです。
生存が苦痛でしかないような子供。そしてその子供達を見守るしかない悲劇、支え続けても見通のない未来。
目を覆いたくなる不幸。
このような未来予想図が、被曝の被害として多く語られています。
すべての命と共に生きる覚悟をしていただく為に知っていただきたいことがあります。

苦痛と恐怖は誰が感じているのか?

目を覆いたくなる不幸とは?生まれることが不幸な人生とは?
考えてみてください。それは誰が感じていることですか?生まれてくる子供達がそう言いましたか?
私は九死に一生を得て生まれました。障害者として生まれ、同時に医師に余命11年と宣告を受けました。
悲観した母は無理心中を図るというのが私の人生のスタートでした。
その後、結婚し三人の子供を出産しました。子供達の参観日や行事に参加しアメリカにも住みました。
次第に動かなくなる体も電動車いすを駆使することで反原発運動にも参加しています。
私は私の生を十二分に堪能し、感謝しています。
辛いことは山ほどあります。皆さんと同じように。幸せなこともたくさんあります。皆さんと同じように。
年を重ねるにつれ身体はいうことをきかなくなり、痛みもあります。皆さんと同じように。
しかし私の人生に恐怖はありません。楽しいのです。
私は生まれることが不幸な人生などないと信じています。

切り替えるべきは頭のスイッチ

平成25年12月4日の参議院本会議で全会一致で批准が承認された国連の障害者権利条約は、「障害は個人ではなく社会にある」といった視点に基づくものです。
まさにそれが答えです。障害者にとって障害を作っているのは社会です。
生きにくさを強要されている人を葬るのでは無く、社会の障害を改善・除去することが必要なのではないですか?
日本はこれから想定外の高齢社会から急速な人口減少社会を迎えます。
お年寄りが増える中叫ばれるようになったバリアフリー。バリアがあるのは社会です。
そして皆さんも怪我をしたり、事故にあったり、年をとりその障害を背負うことを忘れないでください。
でも不安にならないでください。人生とは、どのようなスタートを切ろうとも本人には肯定し楽しめるものだし、それを否定するのは社会であってあなたじゃない。

国から暗に示される不安

【直ちに健康には影響しない】なんと不安な響きがある言葉でしょうか。
将来にわたっての健康について私は関心を持っているというのに。話したくない事情があるのか、状況を把握していないのか。ただ私たちは情報の不確かさだけを知っています。
さらに今年9月に国際オリンピック委員会総会で「福島原発の状態がコントロール下にあることを私は保証します。東京には今までもこれからも被害が出ることは絶対にありえません。」と安倍首相は世界中に向けてスピーチしました。
私はこのスピーチを聞いて率直に驚きました。私の日々感じている感覚と安倍首相の言葉には大きな隔たりがあったからです。
高濃度汚染水が漏れたり、一部の食品が出荷できないなどの現状で「コントロール下にあり被害がない」なんて言葉こそ〝想定外〟でした。
安全や安心とはほど遠い、このような不安がさらに多くの優性思想をかき立てているのです。

反原発の主張に潜む優性思想

私たちは原発の本当の恐ろしさとは何か見極めなければならないと思います。
一部の反原発運動の中に放射能汚染エリアでの奇形動植物を紹介することで放射能の怖さを表現したり、奇形児や障害を持つ子供の誕生を危惧する声があります。その様な中には優性思想が潜んでいるように感じます。
放射能の影響は目で見えない。だからこそ目に見える結果にだけフォーカスがあたりやすく、恐怖の対象となっているのではないでしょうか。
放射能による健康被害は怖いという論調がいつの間にか奇形や障害は怖いにすり替わってはいないでしょうか。

原発事故の恐ろしさとは?

原発・原発事故の恐ろしさは「不幸な子供(障害児)」が産まれることではないと私は考えます。
障害や健康被害を受けた子供達が産まれるのは親の健康が害された結果の現れです。
障害を持つ子供達が生まれるのは放射線障害の一つの結果に過ぎません。
真の恐ろしさとは親だけではなく全ての人々の健康を徐々に害し、私たちの愛するこの国の自然・風土・文化を破壊することでないでしょうか?

子供の未来を奪うのは放射能ではなく母胎血検査

そしてこのタイミングで母胎血検査です。いまはまだ特定の遺伝子しか検査をしません。
しかし将来的にはなし崩し的に拡大される可能性が高いと考えています。
今のように原発事故は収束し健康被害は無いとする国に都合が悪い事実が発生した場合は、被曝被害を闇に葬る道具として利用される可能性すらあるのではないかと恐怖を覚えます。
そもそも出生前診断とは命の選別を迫る検査以外の何物でも無い。親が検査を決断したら、検査の後に迎えるのは選別の苦悩だけではないですか?
そしてその苦悩と重荷はどのような結果を迎えてもお母さん達が背負うことになります。

私からの提言

原発事故はすでに起きました。これはまぎれもない事実です。
そしてすでに多くの方が被曝した可能性も否定できない。
将来の親とその子供達の健康が害されてしまった可能性は十分にあります。
でももう起きてしまったのです。それは覆ることはありません。
だからこそ、まずこれ以上の健康被害の可能性を避け、すこしでも危険性のある土地で食べ物を作らずに移住すること。
愛した土地を離れるのは悲劇です。しかし悲劇は起きてしまったのです。
国は汚染されていない地域へ負担なく移住できる制度を。
そしてその影響が出てしまった子供達を私たちの社会は暖かく迎え入れ共に生きる事が必要です。
今回の原発事故は国や電力会社が起こした人災なのは間違いありませんが、それを後押ししたのは利便性をもとめる私たち一人一人の責任でもあります。
今求められていることは健康被害や障害をもった子供達を未然に選別することではなく、
私達の求めた利便性の結果を図らずも背負わされた子供達、親達、子孫達を全力でサポートしていく準備ではないでしょうか?
国や電力会社や私達が、責任と苦悩を一部の人々に背負わせ「子殺し」の選別を迫る仕組みをつくり、黙殺する事にならないように、社会の過ちを私達全ての国民が受けとめる社会にしていこうではありませんか。

 

タカッサンへ

   この文章は10月27日亡くなった私の友人であるタカッサンに捧げます。
   彼は水分補給すら難しい状態で、この「母体血検査と原発」を聞きに駆けつけてくれました。
  その3時間半後 彼は息を引き取りました。

   関西で障害者運動が始まったのは42年前に姫路にある養護学校の一室で始まりました。
   彼がもつ生来の人柄があってこそ、人が集まりうねりとなったと私は感じています。
   タカッサンは温かく大きな人でした。
   その人柄を表すように彼の葬儀では介護に関わった多くの方が集まり、
  「お骨を分けるんだ」と一片も残さず刷毛で掃き集めていた。
   本当に皆に彼が大切に想われていたんだなぁと思って嬉しくなりました。
   なかなか、こんな人はいないよね。
   この集会の録音データーに、この頃ほとんど声が出なくなっていた、タカッサンの声が「ぅお-」と、残っていました。
   私たちの生存を根底から揺るがす優性思想に対して彼は最後の最後まで命を懸け戦った。
   日本の障害者運動の歴史の1ページそのものだったタカッサン。
   上手な文書が書けたり、たくさん言葉をしゃべることはできなかったが、
   その分彼の強い意志とぶれない生き様は接するもの全てに影響を与えるほどでした。
   「タカッサンお疲れ様!」

ほんとうのことが言えない社会でいいのか!

2013-08-28

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福島第一原発は放射能垂れ流し・ガレキを燃やして日本中のばら撒いて・反対すれば「ブタ箱に入れる」、これでは、まるで戦前・戦時中の特高警察や大本営発表だけが世間を席巻していたときのようです。現実の都合の悪いことは「見ないふり」ですべて先送り、ひたすら突き進むのみ、どこにいくのか誰も言わない、(怖くて)言いたくない。

東本願寺の宗議会を傍聴してきました。

2013-05-30

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宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌期間中真宗本廟(東本願寺)で開催された幼少期に両手両足を失った「中村久子展」については、ごく最近になって知ったのですが、障害者の特別な頑張りへの礼賛が滲み出ていて、二次障害について主張するのがライフワークの私としては黙っていられない問題です。すでに西宮の福永さんが抗議文を出しましたが、一向に大きな変化がみられません。

そこで、内部でどのような議論をしているのか、宗議会で宗務総長演説を傍聴してきました。ところが、驚いたことに、傍聴席ですらアクセシブルでなく、何とかスロープが見つかったので入場できたものの、私のような電動でなければ無理なくらいの急な勾配でした。

そのあと、大谷派女性差別を考えるおんなたちの会で話してきました。二次障害がどのように起こるのか、頑張りを当然視する能力主義の圧力がどのように障害者の健康を蝕むのか、説明してきました。さらに、最近の母体血検査の普及は、優生思想にもとづく選択的堕胎を個々の女性に迫ることになるばかりか、放射能の影響を水面下で揉み消したい勢力にとっては願ってもない方向であるということも話してきました。

 

「福島では地元産の食品を食べていないのが救い」について

2013-01-15

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広瀬 隆 様

3.11以降「原発いらない福島の女たち」と出会い、IAEAが福島に来ると聞き、いてもたってもいられず郡山に抗議行動に行って、広瀬さんの話を聞きました。今まで、こんなにまとまって放射能と原爆・原発について知る機会がなく、大変勉強になってDVDも予約しました。私たち、日本の脳性まひ者は高度経済成長時代「本来あってはならないてい存在」として、優性保護法によって葬られたようとし、2010年には「産科医療保障制度」で「3000万円の社会負債」と名指しされた障害当事者です。

 

2011年4月以降、被災地障害者支援センターの活動を通じて郡山市・南相馬市・飯舘村などを訪れました。郡山や福島県に数日~数週間繰り返し滞在している間、国や県が「安全盲信」を人々に強要し続け、その狭間でさまよっている人達が大多数である現実を目の当たりに見てきました。それを見抜けたのは、原爆が原発と姿を変え権勢を振るい始めた高度経済成長時代に、「本来あってはならない存在」として親や地域社会から抹殺されようとしたり、大規模施設に隔離され治療の実験台にされたりしてきた、当事者としての経験と重ね合わせる事ができたからかもしれません。「障害者のために」建設された大規模施のように、「復興支援」の呪縛で汚染地帯から逃れられないように閉じ込められた福島県の人たちは、格好の人体実験台とされつつある、放射能汚染で障害児が産まれるかもしれないと堕胎が増えるのを止めたい、そういう立場から見過ごせないと思いました。これらは障害者を殺す優生思想の結果であり、福島の女の人だけに責任を負わせる社会のあり方をこそ問わなければなりません。だから「原発いらない福島の女たち」とタッグを組んで、経済産業省前でも抗議行動に参加してきました。

 

「テレビと新聞が伝えない太郎ホントの話 vol.2 後編」の中盤で、気になる論述がありました。それは「福島では地元産の食品を食べていないのが救い」という件です。たしかに、ハイロアクション福島原発40年実行委員会の人たちや心ある「女たち」の仲間たちは食品の産地を確かめ吟味して暮らしています。しかし、福島の在宅障害者は、国や県が押しつける「安全盲信」に囚われた家族・周囲の手によって、地元産・自家製の作物を口にしてしまっている事実、自分で選択できない現実に、私は心を痛めています。彼らは「親や家族がつくる食べ物を嫌だとは言えない」というのです。社会にはそういう立場でしか生きることが許されない人間がいるのです。



添付写真のように、地元スーパーや農作物直売所では堂々と「福島産」を掲げ、それが日々完売していたようにも見えました。福島県の人が放射能汚染作物を全国にばらまくだけで、自分たちが全く口にしていないのが現実だとは思えないのです。むしろ、「食べなければならない圧力」にさらされ続けている、と強く感じるのですが・・・・。

放射能事故と優性思想については、昨年の地中海小児脳神経学会で招待報告をし、ハワイで開かれた障害学環太平洋会議でも被災地障害者支援センターの活動の一環としてワークショップを開催し、報告してきています。下記のHPをご覧頂ければ幸いです。(http://cp-research.jp/?lang=en

また、毎週金曜日、関西電力前の抗議行動にも参加しているので、そこで知り合った人たちにもこのDVDのことを広げています。折角の勉強になるDVDなで、現実の不安が不問にされる誤解がないように疑問に感じたことを記しました。

 

脳性麻痺者の生活と健康を考える会 古井正代

(なお、この手紙の内容は上記HPにも公開させていただきます)


12月15日「私たち抜きに、福島のことを決めるな!」 IAEA抗議アクションに行ってきました。

2012-12-22

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私は、被災地障がい者支援センターふくしま代表白石さんの代理として「原発いらない福島の女たち」のよびかけに応え現地抗議行動に参加してきた。私は12年間広島にいたが、比治山にあるABCC(原爆傷害調査委員会)を忘れない。戦後直ぐ日本に乗り込んで原爆生存者の調査はしたが、治療はしなかったという話を被爆者の方から直接聞いていたからだ。国連の下部組織の国際原子力機関(IAEA)もチェルノブイリで同様のことをしていたという。12月15日、郡山のビッグパレットにてIAEAと日本政府の共催による「原子力安全に関する福島閣僚会合」が開かれた。脱原発を宣言していた福島県が、原発と共存せざるをえない筋書きへと書き変えられつつあるようで、これには黙ってはいられない。

2012年12月14日13時、県庁舎西側もみじ公園に「原発いらない福島の女たち」と東京、大阪、兵庫、広島など全国からの支援者が結集した。「原発はいらない」「子どもを守ろう」「IAEAはふくしまへ来るな」それぞれの思いを書いたプラカードを掲げ、様々な旗が空高くなびいていた。オープニング挨拶で佐藤幸子さんは、ありったけの思いを込め「福島の女たちは、自分たちを抜きに福島のことを決めてほしくない」と訴えた。話は続く。「福島県民は、全てがいつもの福島に戻ったかのような実感があるようだ。なぜなら、放射能は降り注いでいるのに、学校行事では夏にプール、秋は駅伝と、まるで以前の生活と変わらない。でも、高い線量の中で生活していいのか悩んでいるお母さんたちがいる。そろそろお母さんたちの中で絶望とあきらめが出てきている。だけどあきらめてはいけない。」と集会参加者へまっすぐなまなざしで語る。未来を生きる子どもたちのために、未来の福島のためにここであきらめてはいけないのだとその思いが痛いほど伝わってくる。もみじ公園から見える阿武隈川も弁天山も目には見えない放射能が降り注いでいるのだ。「「安全宣言」なんてとんでもない」と皆の怒りが公園中を埋め尽くしていた。

 

結集した人々の代表は、「福島へのIAEAの進出をやめさせ、健康被害の過小評価や隠ぺいをなくし、情報公開と子どもたちの避難を実現させる」ことを申し入れるため、県庁庁舎へ入った。申し入れ書を手渡す部屋には10名しか入れないとのことだったが私もその中の一員として部屋へ入った。知事は用務中のため出席できず総務部の菅野氏が代理で申し入れ書を受け取った。申し入れについての回答を求めると「私の方から回答はできませんので、返答については黒田さんへ連絡します」との返事だった。                      

 

 

 

その後、もみじ公園に戻り、申し入れ書の読み上げ報告があった。そのあと、公園を出発し、県庁前を通り「原発いらない」と声をあげながら、福島駅を目指しデモ行進をした。デモ隊の先頭は酪農農家の人だった。亡くなった牛の頭蓋骨を針金で作った牛の骨格の上にのせ、立ったまま餓死した牛が並んだ自分の家の牛舎の写真を掲げた台車を数人で押していた。この先頭車に続き、姫路から参加した二人の女性がかんしょ踊りでデモの列を率いていく。駅付近では、多くの人々が私たちを見ていた。どれくらいの人の理性に、福島の線量は決して安全ではないという事実が届いたであろうか。

私は、デモの先頭だった酪農農家の人に続いて福島駅でマイクを持って訴えた。「家畜は餓死させられましたが、身動きとれない障がい者も置き去りにされ餓死していたのです。この国では障がい者の人権がないのです。気の毒だから。そういう風に思われて生きているだけなのです。放射能汚染で障害児が産まれるかもしれないと福島の女の人が堕胎するのは、障がい者に人権がないからなのです。選ばれたエリートだけが力を持つ世の中では、障がい者を殺す優生思想がはびこっているのです。女だけに責任を負わせる社会であってはいけません。みんなの未来のために、障がい者と女たちとともに、一握りの人の富と繁栄を支えるIAEAと戦っていきましょう。」

その朝、郡山から福島駅へ向かう電車の中で私の介助者が、となりの席の女性と話をした。「孫の甲状腺に0.2ミリの腫瘍?ができているんです」私の介助者も女性も涙が止まらなかった。郡山では、去年も今年も夏に蝉の声を聞かずイナゴの姿も見なかったと聞いた。すでに生態系には異変が起きている。今回、福島県がIAEAを呼ぶのは「世界最高水準の技術」を持っているからだという。チェルノブイリで被爆被害の過小評価をしてきたIAEAを「復興」の名の下に税金を使って呼んだ。まるで事故があったのを忘れたかのように、原発との共存の方向に流されている。しかし現実には、原発事故は何も解決していないし、放射能汚染も収束していない。

2012年12月15日朝、IAEAと日本政府共催の「原子力安全に関する福島閣僚会合」の会場である郡山市のビッグパレットの2ブロック手前に抗議のため全国から約150名が結集した。8時30分から抗議行動主催者の記者会見がおこなわれ、そのあと9時からはじまった抗議行動では、シュプレヒコールや歌、参加者のスピーチなどが続いた。抗議行動150人に対して警察の警備は約6000人が動員されていて、全く会場に近づくことさえできなかった。唯一許されたのは、仮設住宅が設置されている東側とは反対側の西の端の駐車場に、申し入れ書を手渡しに行った時の午前11時30分ころから1時間程度であった。電動車いすの障がい者は私一人だったので結構目立ってしまっていた。

海外からも、反原発・環境活動家が沢山来ていたので英文のビラを渡して、みんなとハグして、しっかり国際交流をした。

抗議行動での私のスピーチは「むかしから障がい者は、健全者に近づけようという名目で人体実験の様な試みの被害に遭ってきました。それは(優れた人が一番で、みじめな障がい者にはなりたくない、衰えたり老いたりしたくない)優性思想がはびこっているからです。そのような経験を持つ障がい者の立場からすると、原発事故後、福島の人々が内部被曝の実験台にされていくのも、被曝した胎児が闇に葬られるのも許せない。」

自分達のことを自分達で決めることが許されないということは、人権が奪われている何よりの証拠である。福島に住み続けることに少しでも内部被曝の不安があるのなら、それを専門家が勝手に安全だと言いきっていいのか。生活していくのは福島県民なのだ。

「原発はいらない福島の女たち」と私達障がい者は声を大にして叫ぶ。

「我々のことは我々ぬきに決めるな!」

障がい者の声をきけ。「原発はいらない福島の女たち」の声を聞け。

                                古井 正代

9月11日 未来を孕む女たちのとつきとおかテント広場行動とその後の福島訪問 

2012-09-17

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9月11日 未来を孕む女たちとつきとおかのテント広場行動



  

 

9月11日経済産業省前テント村が開設されて1周年のイベント、未来を孕む女たちのとつきとおかテント広場行動に参加しました。(http://totukitouka.info/blog/

 7月29日の国会前行動で知り合った二人の関西の女性と一緒に福島に行こうと約束をしていたので、9月11日経産省テント広場をその福島訪問の基点とすることにしました。 東京の経産省テント広場での行動に参加した後、その晩に郡山市に向かい、9月15日まで4泊5日で滞在し、災地障害者支援センターの白石清春さんの助っ人として福島県内で活動してきました。

 

 

 40歳代の脳性まひの人から「このままでは暮らせない」との相談が被災地障害者支援センターによせられていました。その人は20km圏内に住んでいてで強制退去させられました。仮設住宅に移ったのですが震災前に別居していた老親と再同居させられ、実際暮らし始めてみると設備やスペース面でも全く折り合いがつかず「これでは暮らせない」と困り果てていたといいます。この避難先での自立生活の相談に対する解決策として、車いすで室内で動けて、浴槽も自分で入りやすい形状にカスタマイズした賃貸住宅を調達し自立した暮らしを実現できたというので、その現状を確認に行ってきました。

毎週金曜日の関西電力前の抗議行動

2012-09-10

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8月3日、8月17日、8月24日、8月31日、9月7日と毎週金曜日、関西電力本前で脱原発の抗議行動に参加し、マイクを持ってしゃべってきました。

福島の人たちの人権は、今、

2012-08-13

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福島の人たちの人権は、今、この瞬間も間違いなく侵され続けているのです。私たちは原子力発電所の廃炉が地球の未来にとって重要であることを訴えるとともに、現実にはどんどん深刻化しながらも、まったく手の打たれない人命軽視や健康被害の無視について戦わなければいけないと思います。チェルノブイリやスリ-マイルの教訓が示す世界の常識から、せめても「中通り」と言われる地域に住む人たちは、その地域から避難させて、生活できるように保障していかなければならないのです。実際に、その地域に住んでいる人たちが自ら声をどこまで上げられるのかというと、ほとんどの人が声を上げられないでしょう。心のどこかでは、このままでは良くないと誰もが直感していながら、声に出すことを躊躇させる社会的圧力が強すぎます。今、現実に起こっていることを自分への脅威の問題として捉えられないような状態におかれているのです。こんな「あたりまえ」のことが「あたりまえ」にならない現実には根の深い社会の闇が伺えます。この国の近代史における障害に対する社会的態度と障害者自身も含めた人権軽視と似たようなルーツをもつのかもしれません。

 

1.役割期待

私たち障害は生まれる以前から、あってはならない存在、五体不満足な「落ちこぼれ」として位置づけられてきました。みんなの目が同情のまなざしを注ぐ対象としての「かわいそうな存在」の社会的役割だけを期待されて育てられてきました。だから、ありのままの自分を積極的に捉え自分自身の健康について考えるよりも、障害を持った身体を少しでも「健常」な姿形や「機能」に近づかせることを追い求める環境にどっぷりとつかってきました。歩けない障害者は健常者のように歩けるようになること、そのために手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させられたり、ただひたすら個人レベルで「がんばる」ことだけが期待され、自分の身体状況に関係なくそれを信じ込まされてきました。









 

 

 

 

 

内部被爆の基準値が、原発事故の後に恣意的に大幅に引き上げられました。そのうえ指定区域から住民が避難し、仮説住宅が建設された先は、ほとんどが県内の「中通り」です。全壊・半壊で「指定地域以内」でなければ被災証明による支援も受けられません。「指定地域」でなければ、移住を決意しても、他府県の公営住宅への入居さえ許されません。政府の証明が無い人たちには、いくら健康被害への不安があっても、地元に止まりただひたすら「がんばる」ことだけが期待されているのです。福島産の食品はすべて「安全」だと信じ、あえて地元の水を飲み、地元で取れた農産物・水産物を食べ続けることが当たり前となっているかのようです。「中通り」に住む大多数の福島の人たちは、県外へ自主避難しようにも、行った先の受け入れも無く、残留しなければ経済的にも生活がなりたたない厳しい現実があります。郷土を去る必要を国が認めるのは、被害のため生活が奪われた少数の「かわいそうな存在」に限定したいという政府の意図を感じます。証明も無く福島県外に移住すれば、それは郷土愛のない者とでも言われかねない空気なのです。原発事故の後に、健康被害の可能性がとりざたされても、大丈夫だと信じ込まされ地元で「がんばり続ける」人々の姿は、障害者が身辺自立に不可欠だと信じ込まされ歩行訓練に努力しつづけたときの姿と酷似しているように感じます。

 

 

2.過剰な「がんばり」の結果としての健康問題

2001年、イタリアのBottosという研究者が、まだ発育途中の3-8歳児で歩行能力を獲得する前の脳性まひの子供たちを29人集めて、個々に合わせ調製した電動車いすを与えて操作能力の向上についての介入実験を行いました。運動能力がばらばらで知的能力もばらばらな子供たちを6-8ヶ月間調べた結果、操作能力を左右したのは運動機能でもIQでもなく、「練習時間」の長さだけであったと報告しました。また、介入前後で、大きく変化したのは親の子供に対する期待で25人中21人が「運転できないだろう」と否定的だったが、8ヵ月後には25人中23人が肯定的評価で、当初否定的だった21人の親全員が「子供が活発で幸せになった」と言ったといいます。

この実験から言えることは、どんな脳性まひの子供でも、金に糸目をつけず、きっちりとエンジニアが一人ひとりにあわせカスタマイズした電動車いすを与え、練習できる機会さえあれば、電動車いすを乗りこなせるということです。子供は元来好奇心の塊なので環境や条件さえ整えるだけで、大人が気付かないようなことに興味を示し、それらに果敢に挑戦しながら自己形成が図られていったのでしょう。こどもの可能性を開花させるには、まず「挑戦させる」、そのための条件整備を「やってみる」という大人側の覚悟が必要です。

ところが、日本の脳性まひの子供たちでは、歩ける年齢になる前から電動車いす給付をうけられるのは例外的です。欧米のように校区の普通学校に統合教育するのではなく、歩行訓練や障害に応じた対応が充実している環境だと言う根拠で、特別学校に通わせたりしてきています。一般の子供たちと触れ合って遊ぶ経験の場を取り上げ、自分に対する自信や成功体験による心の成長の機会を奪い、健常児と言われている子供たちにとっても自分たちの同世代の仲間として障害児がいると言う認識が育つ機会も奪ってきました。60年前から今だに、変わらない「歩行第一主義」の歩く訓練ばかりが強調され続けています。これが、子供の人生にどのような影響を及ぼしてきたのでしょうか。「歩けなくなったらおしまい」「車椅子は敗北」という価値観を形成させ、手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させ、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込むことになってきました。その結果は、今の40代50代60代の成人脳性まひ者が抱える深刻な健康問題を見ればよくわかります。ほとんどの人に頚椎・腰椎・股関節になんらかの二次障害がでています。最後の最後まで車椅子使わず、がんばって歩く、がんばることがいいこと、首や肩や腰が痛くても歩き続けた挙句、頚椎症などの二次障害を発症し、早い人では20代の後半から遅くても50代までには、若いときと同じように歩き続けることは困難になっています。一般の子供たちと触れ合う余裕も無い場所で育くまれた、20年後・30年後の健康問題に発展する過剰な「がんばり」に警鐘をならす多くの生き証人がいるのに、「がんばり」の刷り込み教育はなかなか止みません。

 

3.今、まず「やってみる」、それで未来は変えられる.

たしかに、40年後50年後の白血病や脳腫瘍、などの内部被爆の健康被害は今すぐに実感しにくいものでしょう。すでに、子供に甲状腺がんの兆しがあれば別ですが、そうでもなければ、環境変化の精神的負担・移住のための経済的負担を負ってまで県外移住を決意する人は多くないかもしれません。しかし、福島の子供達や指定区域外の住民は、若い日本の脳性まひ者のように、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込まれていくのを、なんとか防げないものでしょうか?

さまざまな理由で移住したくても出来ない人を動かすには、イタリアのBottosたちの介入実験のような、徹底的なカスタマイズがヒントになります。「平等に支援を分配するため画一的な条件が必要だ」「個別ニードに対応するのは不可能」という従来型の対応では、本当に有効な移住促進策にはなりません。まず、福島県の「中通り」の子供達や住民が(政府の恣意的に狭く定めた区域指定にかかわり無く)移住しやすいような、思い切った周辺の諸条件の整備を行ってはじめて、個々の事情に合わせたカスタムメイドな対応を可能にする選択肢が用意できます。

たとえば、

l  電力会社に出資してきた金融機関の原発事故への社会的責任の一環として、子供のいる家族の持ち家の震災前の住宅ローンについて、避難移住することを条件に、たとえそれが10万円だろうと1000万円だろうと「全て平等に」無担保・無期限の凍結または棒引きとする

l  全国の空き教室を調査し、その空き教室をいくつかの校舎に集約し、中通の中学校・高等学校を全寮制学校として移住させる(出来れば小学校も)。寮には当該学校の教員を寮教師として配置するほか、寮監には地元大学等の保育・教育系学生を1-2年契約で優先雇用し、勤務経験を教育経歴として、任用中は本務校で休学扱いとする。

l  全国の自治体は移住希望者に対し公営住宅に優先的入居できるよう配慮し家賃を免除する、

l  全国の職業安定所・事業所が移住希望者を優先的に対応・雇用するよう、事業所所得税・国税の減免で誘導する

l  移住先の自治体は国保掛け金を免除し、税制上の優遇措置を講じる(国税の免除・地方税の減免)

 

 

など、移住したくても出来ない人の事情に実効性のある取り組みが必要ではないかと思います。

 

 

4.人権問題に対する軽視.

出来ていたことが出来なくなったら、職場を解雇されても当たり前だ。こんな考えを、障害者自身を含む実に多くの人が抱いています。こんなわかりやすい人権侵害に対して、疑問も感じず、何ら抗うことも無く、にもかかわらず障害者雇用促進には異論を唱えないのが不思議でなりません。障害者雇用促進を言うのなら、現職者の中途障害者を解雇させないことは当然のことでしょう。個人の「できる」「できない」が問題なのではなく、その個人が平等に働けるような職場環境の整備が不十分であることが、障害者の人権を侵しているのです。このことを、障害を理由に解雇された当事者自身が、職場や周囲に気を使い「人権問題」として捉えきれないところに問題の複雑さがあります。人権感覚とは決して目に見えない抽象的なものではありません。たとえば、アクセシビリティについて言うと、欧米では1980年代から、どんな家でも車いすで入れるトイレ、玄関の段差ゼロ、広いドアの必須3条件を満たす一般住宅しか新築を認めない都市が徐々に増えているといいます。施設主義から脱し地域社会に定着するためには欠かせないことです。一方、病院や公共施設には車いすで入れるトイレはあっても、一般家庭では隣人の家は言うに及ばず、自分の家でさえ車いすごとは入れるトイレがある家は珍しいのが日本の実情です。玄関の段差ゼロについては、銀行などいたるところ段差だらけです。日本では国際シンボルマークを掲げた駐車スペースに、我が物顔で平気で駐車していても何の罰則もありません。そのくせ電動車いすには法律で速度制限をもうけています。Bottosのように、本人に合わせカスタマイズする電動車いすで移動の自由を保障するどころか、運転免許のような試験を課して移動の自由を制限する所もあります。20年以上も電動車いすに乗りなれている私でも、調整なしで国産既製品に乗ればまっすぐ進める保障はありません。鉄道では簡易スロープの介助を理由に3-4本列車を待たせて乗せないことも珍しくありません。そもそも、ホームと列車の間の段差は人為的に作られたもので、段差なしのホームも技術的には可能なことです。航空機では国際線からの乗り継ぎであっても、国内線で乗車拒否をします。ある美容院では「会社の方針だ」と車椅子ユーザーを一切拒否し平然としています。個人の行動・移動の自由が基本的人権の一部だという国連の文言があっても、日本では、仏作って魂を入れずで、形骸化させても恥ずかしくないのでしょうか。私たちの行動・移動の自由が基本的人権として保証されれば、ベビーカーもシルバーカーやトランクを持った旅行者など、全ての人の行動・移動がより自由になるはずです。 そう考えると日本では、そもそも、障害者を含めた人間の尊厳や人命の尊重という意識自体が根本から希薄になって、誰も生き残れない社会に向かっているように思えてなりません。

7月29日 国会前20万人デモに参加「原発いらない福島の女たち」とともに

2012-08-01

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7月29日

7月29日 国会前20万人デモに参加し、「女が変える政治もくらしも原発も」に「原発いらない福島の女たち」とともに参加してきました。国会を囲む会鎖として国会正門前での行動に参加してきました。そこで、これからは障害者と女たちが、真剣にタッグを組むことが大切だとうったえてきました。集会で「福島の女たち」のスピーチのあとで、障害者の立場から「女が加害者にならないように」優生思想について、マイクを持って主張してきました。

7月27日 関西電力前での抗議行動

2012-07-28

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「福島の女たち」の黒田さんが大阪に来るというので、はじめて、関西電力前での抗議行動に参加。これ以降、毎週金曜日には常連となり、マイクを持ってしゃべるようになる。

翌日(7月28日)にあったZENKO大会では、脱原発のシンポジウムがあり、アメリカやフィリピンや韓国や中東地域からも参加者があり、英文のビラを配りました。そこでもマイクを持ってしゃべった(会場のアクセシビリティと運営も含めた配慮に言及した)ことも相乗効果を発揮して、障害者人権問題に多くの関心をひきつけていた。

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