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関電本社前抗議!今日も関電前に行ってしゃべってきました。

2013-06-02

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    今日は、東京で原発反対の大規模な行動があるのですが、それと連動して関西電力の前でも集会をしてきました。そこで、母体血検査が原発の放射能隠しに使われかねないことをしゃべってきました。

経産省前テントひろば連続共同ハンストに参加し、62時間ハンストを決行してきました。

2013-05-20

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わたしも、障害者の立場からの主張をたずさえて、17日朝から19日までの62時間のハンストに参加してきました。311以降、わたしたち障害者が、原発いらない福島のおんなたちと出会い、全国の多くの脱原発・反原発の念いをもった人たちと繋がってきた経産省前テントひろばに対して、国が「明け渡し請求訴訟」を起こしました。これを撤回することを求め、5月16日朝から22日正午までの7日間172時間連続共同ハンストが決行されました。

昨年の5月のハンストの時はテントの中で宿泊できたのですが、

今回テント前に行ってみると、テントの周りは厳重にチェーンが張り巡らされ、車椅子では全く近づけなくなっていたのです。夜泊まることができず困ったので、経産省前テントひろば事務局の人が、急遽、霞ヶ関近くのホテルを片っ端から電話をかけ探してくれました。なんと驚いたことに、霞ヶ関界隈にアクセシブルルームは皆無で、車椅子アクセシブルな最寄りの宿舎は、新宿区の全国障害者総合福祉センター「戸山サンライズ」しか見つかりませんでした。これで、東京オリンピック誘致など恥ずかしいかぎり、日本のアクセス事情の実態を改めて思い知らされました。

国連の障害者権利条約を批准するなら、首都中心でさえアクセシブルな宿舎が貧弱だという事実が示す社会意識を根本的に覆さなければなりません。
ハンスト中に経産省テントひろばで配ったビラです。原発推進と胎児診断の関係について、全国から集まった多くに人たちと語り合うなかで、さらに理解が深まったと確信しています。

 




原発推進につながる母体血検査に反対!


従来、妊娠した女性が胎児に「異常」がないか検査するには、リスクの高い羊水検査を受けるしかなく、大変な決意と検査時の忍耐が必要でした。本年4月1日から実施された母胎血検査は簡単に受けることができ、出生前診断が容易になりました。母体血検査や出生前診断が、なぜこのタイミングで推進されるのでしょうか。

これは、実際に原発事故による放射能の影響で心筋梗塞を患って亡くなったのに、原発との因
果関係を認めようとせず、原発事故の影響を誤魔化すのと同じような事態を招きかねない危険を孕んだ問題なのです。

そればかりか、この子ども達は日本における遺伝子「異常」を持った子どもの総数に含まれず、結果的に今回の原発事故による放射能の遺伝的影響の深刻さを曖昧にする事につながります。チェルノブイリの例を見ても、放射能の影響による染色体異常は 三世代~四世代にも及ぶのが現実なのですから。放射能の代表的な影響には遺伝子の破壊があります。母胎血検査を推進する事で、遺伝子に何らかの「異常」が認められた子どもは生まれてくる機会さえ奪われかねません。  出生数として数えられなくなってしまう子ども達の無念はどうなるのでしょうか。

このままでは、母胎血検査・出生前診断が、政府や東電の未来にわたる自分達の犯罪を過小にみせる道具に利用されてしまいます。

自分達の私利私欲の為に、多くの人の暮らしを破壊した上に、反省もせず、私達の未来まで犠牲にしようとする彼等を許せません。

私達、障害者は厚生労働省や医師会に抗議文・質問状を提出しようと考えています。

みんなで反対の声を上げましょう!!

JDF被災地障害者支援センターふくしま   白石 清春

脳性麻痺者の生活と健康を考える会   古井 正代

阪神淡路大震災被災地障害者センター  福永 年久

日本脳性マヒ者協会 全国青い芝の会  金子 和弘

日本脳性マヒ者協会 広島青い芝の会  田部 正行

2013年5月17日 経済産業省前テントひろば にて


わたしの末息子が陶芸の展覧会をしますので、見に行ってやってください。

2013-03-16

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5月1日から15日まで、わたしの末息子が、京都で陶器の展示即売会 (山本太郎×古井勝 二人展) を開きます。詳しくは、下のホームページを見てください。

http://10kou.com/5_1.html

福島の人たちの人権は、今、

2012-08-13

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福島の人たちの人権は、今、この瞬間も間違いなく侵され続けているのです。私たちは原子力発電所の廃炉が地球の未来にとって重要であることを訴えるとともに、現実にはどんどん深刻化しながらも、まったく手の打たれない人命軽視や健康被害の無視について戦わなければいけないと思います。チェルノブイリやスリ-マイルの教訓が示す世界の常識から、せめても「中通り」と言われる地域に住む人たちは、その地域から避難させて、生活できるように保障していかなければならないのです。実際に、その地域に住んでいる人たちが自ら声をどこまで上げられるのかというと、ほとんどの人が声を上げられないでしょう。心のどこかでは、このままでは良くないと誰もが直感していながら、声に出すことを躊躇させる社会的圧力が強すぎます。今、現実に起こっていることを自分への脅威の問題として捉えられないような状態におかれているのです。こんな「あたりまえ」のことが「あたりまえ」にならない現実には根の深い社会の闇が伺えます。この国の近代史における障害に対する社会的態度と障害者自身も含めた人権軽視と似たようなルーツをもつのかもしれません。

 

1.役割期待

私たち障害は生まれる以前から、あってはならない存在、五体不満足な「落ちこぼれ」として位置づけられてきました。みんなの目が同情のまなざしを注ぐ対象としての「かわいそうな存在」の社会的役割だけを期待されて育てられてきました。だから、ありのままの自分を積極的に捉え自分自身の健康について考えるよりも、障害を持った身体を少しでも「健常」な姿形や「機能」に近づかせることを追い求める環境にどっぷりとつかってきました。歩けない障害者は健常者のように歩けるようになること、そのために手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させられたり、ただひたすら個人レベルで「がんばる」ことだけが期待され、自分の身体状況に関係なくそれを信じ込まされてきました。









 

 

 

 

 

内部被爆の基準値が、原発事故の後に恣意的に大幅に引き上げられました。そのうえ指定区域から住民が避難し、仮説住宅が建設された先は、ほとんどが県内の「中通り」です。全壊・半壊で「指定地域以内」でなければ被災証明による支援も受けられません。「指定地域」でなければ、移住を決意しても、他府県の公営住宅への入居さえ許されません。政府の証明が無い人たちには、いくら健康被害への不安があっても、地元に止まりただひたすら「がんばる」ことだけが期待されているのです。福島産の食品はすべて「安全」だと信じ、あえて地元の水を飲み、地元で取れた農産物・水産物を食べ続けることが当たり前となっているかのようです。「中通り」に住む大多数の福島の人たちは、県外へ自主避難しようにも、行った先の受け入れも無く、残留しなければ経済的にも生活がなりたたない厳しい現実があります。郷土を去る必要を国が認めるのは、被害のため生活が奪われた少数の「かわいそうな存在」に限定したいという政府の意図を感じます。証明も無く福島県外に移住すれば、それは郷土愛のない者とでも言われかねない空気なのです。原発事故の後に、健康被害の可能性がとりざたされても、大丈夫だと信じ込まされ地元で「がんばり続ける」人々の姿は、障害者が身辺自立に不可欠だと信じ込まされ歩行訓練に努力しつづけたときの姿と酷似しているように感じます。

 

 

2.過剰な「がんばり」の結果としての健康問題

2001年、イタリアのBottosという研究者が、まだ発育途中の3-8歳児で歩行能力を獲得する前の脳性まひの子供たちを29人集めて、個々に合わせ調製した電動車いすを与えて操作能力の向上についての介入実験を行いました。運動能力がばらばらで知的能力もばらばらな子供たちを6-8ヶ月間調べた結果、操作能力を左右したのは運動機能でもIQでもなく、「練習時間」の長さだけであったと報告しました。また、介入前後で、大きく変化したのは親の子供に対する期待で25人中21人が「運転できないだろう」と否定的だったが、8ヵ月後には25人中23人が肯定的評価で、当初否定的だった21人の親全員が「子供が活発で幸せになった」と言ったといいます。

この実験から言えることは、どんな脳性まひの子供でも、金に糸目をつけず、きっちりとエンジニアが一人ひとりにあわせカスタマイズした電動車いすを与え、練習できる機会さえあれば、電動車いすを乗りこなせるということです。子供は元来好奇心の塊なので環境や条件さえ整えるだけで、大人が気付かないようなことに興味を示し、それらに果敢に挑戦しながら自己形成が図られていったのでしょう。こどもの可能性を開花させるには、まず「挑戦させる」、そのための条件整備を「やってみる」という大人側の覚悟が必要です。

ところが、日本の脳性まひの子供たちでは、歩ける年齢になる前から電動車いす給付をうけられるのは例外的です。欧米のように校区の普通学校に統合教育するのではなく、歩行訓練や障害に応じた対応が充実している環境だと言う根拠で、特別学校に通わせたりしてきています。一般の子供たちと触れ合って遊ぶ経験の場を取り上げ、自分に対する自信や成功体験による心の成長の機会を奪い、健常児と言われている子供たちにとっても自分たちの同世代の仲間として障害児がいると言う認識が育つ機会も奪ってきました。60年前から今だに、変わらない「歩行第一主義」の歩く訓練ばかりが強調され続けています。これが、子供の人生にどのような影響を及ぼしてきたのでしょうか。「歩けなくなったらおしまい」「車椅子は敗北」という価値観を形成させ、手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させ、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込むことになってきました。その結果は、今の40代50代60代の成人脳性まひ者が抱える深刻な健康問題を見ればよくわかります。ほとんどの人に頚椎・腰椎・股関節になんらかの二次障害がでています。最後の最後まで車椅子使わず、がんばって歩く、がんばることがいいこと、首や肩や腰が痛くても歩き続けた挙句、頚椎症などの二次障害を発症し、早い人では20代の後半から遅くても50代までには、若いときと同じように歩き続けることは困難になっています。一般の子供たちと触れ合う余裕も無い場所で育くまれた、20年後・30年後の健康問題に発展する過剰な「がんばり」に警鐘をならす多くの生き証人がいるのに、「がんばり」の刷り込み教育はなかなか止みません。

 

3.今、まず「やってみる」、それで未来は変えられる.

たしかに、40年後50年後の白血病や脳腫瘍、などの内部被爆の健康被害は今すぐに実感しにくいものでしょう。すでに、子供に甲状腺がんの兆しがあれば別ですが、そうでもなければ、環境変化の精神的負担・移住のための経済的負担を負ってまで県外移住を決意する人は多くないかもしれません。しかし、福島の子供達や指定区域外の住民は、若い日本の脳性まひ者のように、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込まれていくのを、なんとか防げないものでしょうか?

さまざまな理由で移住したくても出来ない人を動かすには、イタリアのBottosたちの介入実験のような、徹底的なカスタマイズがヒントになります。「平等に支援を分配するため画一的な条件が必要だ」「個別ニードに対応するのは不可能」という従来型の対応では、本当に有効な移住促進策にはなりません。まず、福島県の「中通り」の子供達や住民が(政府の恣意的に狭く定めた区域指定にかかわり無く)移住しやすいような、思い切った周辺の諸条件の整備を行ってはじめて、個々の事情に合わせたカスタムメイドな対応を可能にする選択肢が用意できます。

たとえば、

l  電力会社に出資してきた金融機関の原発事故への社会的責任の一環として、子供のいる家族の持ち家の震災前の住宅ローンについて、避難移住することを条件に、たとえそれが10万円だろうと1000万円だろうと「全て平等に」無担保・無期限の凍結または棒引きとする

l  全国の空き教室を調査し、その空き教室をいくつかの校舎に集約し、中通の中学校・高等学校を全寮制学校として移住させる(出来れば小学校も)。寮には当該学校の教員を寮教師として配置するほか、寮監には地元大学等の保育・教育系学生を1-2年契約で優先雇用し、勤務経験を教育経歴として、任用中は本務校で休学扱いとする。

l  全国の自治体は移住希望者に対し公営住宅に優先的入居できるよう配慮し家賃を免除する、

l  全国の職業安定所・事業所が移住希望者を優先的に対応・雇用するよう、事業所所得税・国税の減免で誘導する

l  移住先の自治体は国保掛け金を免除し、税制上の優遇措置を講じる(国税の免除・地方税の減免)

 

 

など、移住したくても出来ない人の事情に実効性のある取り組みが必要ではないかと思います。

 

 

4.人権問題に対する軽視.

出来ていたことが出来なくなったら、職場を解雇されても当たり前だ。こんな考えを、障害者自身を含む実に多くの人が抱いています。こんなわかりやすい人権侵害に対して、疑問も感じず、何ら抗うことも無く、にもかかわらず障害者雇用促進には異論を唱えないのが不思議でなりません。障害者雇用促進を言うのなら、現職者の中途障害者を解雇させないことは当然のことでしょう。個人の「できる」「できない」が問題なのではなく、その個人が平等に働けるような職場環境の整備が不十分であることが、障害者の人権を侵しているのです。このことを、障害を理由に解雇された当事者自身が、職場や周囲に気を使い「人権問題」として捉えきれないところに問題の複雑さがあります。人権感覚とは決して目に見えない抽象的なものではありません。たとえば、アクセシビリティについて言うと、欧米では1980年代から、どんな家でも車いすで入れるトイレ、玄関の段差ゼロ、広いドアの必須3条件を満たす一般住宅しか新築を認めない都市が徐々に増えているといいます。施設主義から脱し地域社会に定着するためには欠かせないことです。一方、病院や公共施設には車いすで入れるトイレはあっても、一般家庭では隣人の家は言うに及ばず、自分の家でさえ車いすごとは入れるトイレがある家は珍しいのが日本の実情です。玄関の段差ゼロについては、銀行などいたるところ段差だらけです。日本では国際シンボルマークを掲げた駐車スペースに、我が物顔で平気で駐車していても何の罰則もありません。そのくせ電動車いすには法律で速度制限をもうけています。Bottosのように、本人に合わせカスタマイズする電動車いすで移動の自由を保障するどころか、運転免許のような試験を課して移動の自由を制限する所もあります。20年以上も電動車いすに乗りなれている私でも、調整なしで国産既製品に乗ればまっすぐ進める保障はありません。鉄道では簡易スロープの介助を理由に3-4本列車を待たせて乗せないことも珍しくありません。そもそも、ホームと列車の間の段差は人為的に作られたもので、段差なしのホームも技術的には可能なことです。航空機では国際線からの乗り継ぎであっても、国内線で乗車拒否をします。ある美容院では「会社の方針だ」と車椅子ユーザーを一切拒否し平然としています。個人の行動・移動の自由が基本的人権の一部だという国連の文言があっても、日本では、仏作って魂を入れずで、形骸化させても恥ずかしくないのでしょうか。私たちの行動・移動の自由が基本的人権として保証されれば、ベビーカーもシルバーカーやトランクを持った旅行者など、全ての人の行動・移動がより自由になるはずです。 そう考えると日本では、そもそも、障害者を含めた人間の尊厳や人命の尊重という意識自体が根本から希薄になって、誰も生き残れない社会に向かっているように思えてなりません。

6月30日-7月4日  福島県郡山市へ行って現地の障害者や行政と話し合う

2012-07-05

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6月30日-7月4日  白石清春さんの依頼により、福島県郡山市へ行って現地の人たちに障害者がいかに人権を奪われているのか一緒に討論してきた。また郡山市当局とも話し合い、行政は当時はどのような状態だったのか、避難所はどのように決まったのか、安否確認などはどのようにしていたのか、必要な何故できなかったのか、担当者から詳しく話を聞いてきた。千葉県に一時避難していた障害者収容施設が「仮設」施設を建て福島に戻ってきたというので、そこにも行ってみた。そもそも設置場所が「仲通」の山の中で、放射線量のことを本気で考えているのか疑問だった。トイレやダイニングや風呂の数なども、本当にこれで足りるとは思えないものだった。どうして、こうまでして戻ってこなければならなかったのか、考えこんでしまった。

6月17日 大飯原発のある福井県庁前での抗議行動!

2012-06-17

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6月17日 大飯原発のある福井県庁前での抗議行動に参加し、障害者の立場からのメッセージをビラにして配った。内容は、白石清春さんの書いた「福島県民として物申す」と、わたしの作ったビラを持参した。しかし、ビラだけでは効果が無いと思い、マイクを持ってしゃべって、障害者の立場から問題提起をしてきた。確かに障害者は何人か参加していたが、ビラを配ったり、マイクを持ってしゃべったのは私しかいなかった。

 

3月5日~10日までカナダ・バンクーバーで開かれた国際シーティングシンポジウムで発表しました。

2012-03-10

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2012年3月5日~10日まで、カナダのバンクーバーで開かれた第26回国際シーティングシンポジウムで、障害者の一生涯の機能や人生と車いすに乗っているときの姿勢についての発表をしてきました。こういう専門家の会議に当事者が参加すると、当たり前だがとても歓迎される。演題発表とは直接関係無くても、震災で障害者がどのような状態だったのか興味深く聞き入る人もいた。このとき、バンクーバーまでのフライトは、昨年の経験(わざわざ米国キャリアにしたのに、国内乗り継ぎでタイアップしている全日空で電動車いすのバッテリーを理由に搭乗見送りをさせられた)から、あえてソウル経由の大韓航空にした。それにもかかわらず、関西空港でのチェックインの日本人担当者は、乗り継ぎ地のソウルでのGate clameを拒否した。事前に韓国国立リハセンターの知人(政府高官)に「電動車いすユーザーが不利になるようなことは韓国ではありえません」と確認をとっていたので、責任者を出すように掛け合うと、韓国人マネージャーが現れた。この人の対応は全く普通で、「当然、保障します。大丈夫です。」という答えだった。つまり、「車いすなんか・・・」という日本人の「常識」がガラパゴス的だということだろう。これを裏付ける出来事が10分後セキュリティーでも起こった。バッテリーがドライかどうかについて、当事者の言うことも全く無視で、「乗せていいのかどうか」(そもそも出国時の保安官がその判断に口を挟むこと自体がどうかと思うが)通行をさえぎって騒ぎ出していた。話にならないので、「航空会社が確認済みだ」というと、わざわざ先ほどの韓国人マネージャーを呼んだ。あげくには、彼がやってきて「どうぞ通ってください」と一言言うだけで簡単に解決した。

17th Congress of Child Neurologists of Mediterranean

2011-09-18

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Hello Friends

I have been invited as a guest speaker by Dr. Milivoj Veličković Perat, President of Organizing Committee,  to 17th Congress of Child Neurologists of Mediterranean held in Piran, Slovenia, from September 14 to 17.  During the congress, I will talk about tragic environments that a thousands of children with disabilities and sicknesses live with as the result of  the mega earthquake and the Tsunami followed by the  horrible nuke accident in Fukushima.  I strongly feel that there are lot more things that adults must do to provide suffering children with appropriate and timely assistance for their bright futures.  Actions need to be taken TODAY not tomorrow!

I am looking forward to visiting Piran, a famous ocean resort in Slovenia, as well as meeting many of my dear friends from all over the world.

Masayo]  The congress web site:   http://www.cnm2011.eu/hotel-accommodation/

 

 

 

 

 

第17回地中海小児神経学会でしゃべってきました。

2011-09-17

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2011年9月14日-17日 地中海沿岸のピランという町で開かれた17th Congress of Child Neurologists of Mediterranean(第17回地中海小児神経学会)の大会長のDr.Milivoj Perat  に特別報告者として招かれて、「地震・津波・放射能汚染での障害者の現実」The Reality of People with Disabilities after Quack, Tsunami, and Radiation Contaminationと題して、福島の現実を訴えてきました。

割り当てられた時間は15分だったので省略し手しまった部分も復活させて含めた完全版プレゼンテーションは以下のとおりです。

 

Profile: Masayo Furui

2011-08-23

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Profile: Masayo Furui

 

1952      Born in Himeji City, Hyogo Prefecture, Japan

1959      Entered the local public elementary school and attended the regular classes (Nozato Elementary School)

1960      Shosha Special School for the Handicapped opened and so transferred to this school

1965      3 oil painting gallery exhibitions in Himeji City (received the Prefectural Governor’s Encouragement Award)

1967      Entered the High School Division of Harima Special Boarding School for the Handicapped

1967      In charge of purchasing for the family business women’s clothing store

1970      Entered the Oil Painting Department of Ashiya Fine Art’s School

1970      Moved to Ashiya City

1972      Participated in the Executive Committee for the West Japan screening of “Good-bye CP” directed by Kazuo Hara (a 1971 documentary portraying the self-assertion of people with CP in the Japanese society where people with CP were seen as the ones who should not exist)

1972      Hosted the screening of “Good-bye CP” in Himeji City

1972      Formed Group Ribbon, a group for the independence of people with disabilities

1973      Formed and became the executive officer for the Osaka Office of the Association for People with Cerebral Palsy Green Grass

1974      Formed and became chairwoman for the West Japan Federation of the Association for People with Cerebral Palsy Green Grass

1975      Leader of the All-Japan Preparation Caravan for the formation of the Nation Liaison Committee for the Liberation of People with Disabilities

1976      January 15: Masahiro Fujita committed suicide by jumping into a train (member of Green Grass in Wakayama Prefecture)

1976      January 26: Direct action protest at the Wakayama Prefectural Welfare Center for People with Physical Disabilities

1976      March: Yoriko Nakahigashi passed the teacher’s license but did not get hired as an elementary school teacher.  Made demands to the Osaka City Board of Education as the “Association for Creating Teachers in Wheelchairs” which eventually became a direct action protest

1976      Executive officer for the National Federation of the Association for People with Cerebral Palsy Green Grass

1977      April 12: Large scale direct action protest in front of the Kawasaki Train Station against the refusal for wheelchair users to board local buses

1978      The West Japan Federation of the Association for People with Cerebral Palsy Green Grass disbanded

1979      Moved to the Maruyama area of Nagata Ward in Kobe City connected with neighbors and raised 3 children while living in the community

1990      Moved to Kure City in Hiroshima Prefecture and continued to raise 3 children while living in the community

1991      National public television NHK featured our family and how we live in their program “Ohayo Journal”.  After this program, gave many talks at the local elementary schools, junior high schools and high schools.  My talks were never about the terrible discriminations people with disabilities experience.  I spoke to the children/students conditioned to connect disabilities with negative images telling them “You may not believe this, but I have a dead brain!  Surprising, huh?  But there’s nothing wrong with that, I enjoy my life every day.  I go to all of my kid’s school Parents’ Day.  I go to lots of places and find lots of interesting things.  I’m never bored.”

1996      March: My mother who lived in Himeji City was hit by a car while riding a bicycle and sustained injuries to the head.  Went to Himeji and tended to my mother while she was hospitalized.

2003      May: After a spinal cord tumor operation, my mother came to live with us.  Started to teach her about independent living.

2004      June: Oral presentation at RI (Rehabilitation International) in Oslo.  Developed friendship with Scandinavian activists and other people such as Judith Heumann.

2004      June: Moved to Pittsburgh, Pennsylvania and lived there until August 2006

2005      September: Oral presentation at AACPDM (American Academy for Cerebral Palsy and Developmental Medicine) in Florida

2005      Oral presentation at WCPT (The World Confederation for Physical Therapy) AWP (Asia Western Pacific) Region Conference in Seoul

2005      March 15-21: Participated in direct action protest by ADAPT (American Disabled for Attendant Programs Today) in Nashville, Tennessee (68 arrests were made)

2005      October: 2nd Conference of the CP Group, an American group for people with cerebral palsy, in Washington

2005      November: Oral presentation at WCPT (The World Confederation for Physical Therapy) AWP (Asia Western Pacific) Region Conference in Seoul

2006      February 2-5: Oral presentation at ICPC (International Cerebral Palsy Conference) in Oulu, Finland

2006      March 17-24: Participated in direct action protest by ADAPT (American Disabled for Attendant Programs Today) in Nashville, Tennessee (68 arrests were made)

2006      April 20-22: Poster presentation at ICCP (International Congress on Cerebral Palsy) in Bled, Slovenia

2006      June 14-17: Oral presentation on the Green Grass protest at the Kawasaki bus terminal at SDS (Society for Disability Studies) conference in Washington DC

2006      July: moved back to Japan, live with my mother in Takarazuka City

2006      October: Oral presentation at EACD (European Academy of Childhood Disability) conference in Barcelona (Made a complaint to the conference organizer)

2006      October: Moved to Osaka with my mother

2006      December: Our letter of complaint published in EACD newsletter

2007      June: Oral presentation at WCPT (World Confederation for Physical Therapy) conference in Vancouver, Canada, became friends with Judith Heumann

2007      June: Poster presentation at EACD (European Academy of Childhood Disability) conference in Groningen, Netherlands, met again with Martin Bax, Peter Rosenbaum, and Allan Colver

2007      October 19-22: guest speaker at the 4th conference of the CP Group

2007      November: Oral presentation on adults with cerebral palsy and secondary disabilities at the 1st RESKO (Rehabilitation Engineering and Assistive Technology of Korea) conference in Pusan, Korea

2008      August 25-28: two oral presentations at RI (Rehabilitation International) world conference in Quebec, Canada, topics were “The impact of mobility transition and developing functional limitation among older adults with cerebral palsy  ”and “The grass-roots activism of people with cerebral palsy in Japan:  Early protest confronting inaccessible bus system”.

2008      September 30: Sachiko Yamashita’s book “What It Means to be Normal: Activism by People with and without Disabilities in the 1970’s” published, book is mainly about our movement during that time

2008      December 19: published article in “Women’s Asia 21” (No. 56, pp. 28-30) a journal from Asia-Japan Woman’s Resource Center, title was “Exposing the Flaw of the Obstetric Compensation System from the One Who “Should Not Exist””

2008      December 27: Organized a direct action protest against the obstetric compensation system and hand-delivered our letter of protest to the Ministry of Health Labor and Welfare, many activists gathered, continued protest and lobby activity in the new year

2009      February 25-28: Oral presentation on functional deterioration at the 3rd ICPC (International Cerebral Palsy Conference) in Sydney, Australia, also conducted a workshop on the importance of living with pride as a person with cerebral palsy

2009      April 22: English version of my article “Exposing the Flaw of the Obstetric Compensation System from the One Who “Should Not Exist”” published in “Voices from Japan” (No. 22: Women with Disabilities in Japan, pp. 26-30) an English-based journal from the Asia-Japan Woman’s Resource Center

2009      May 3: panelists at the Pacific Rim International Forum in Honolulu, Hawaii, spoke on the Japanese welfare system and people with disabilities

2009      May 4: Oral presentation on the obstetric compensation system at the 25th Pacific Rim International Conference on Disabilities in Honolulu, Hawaii

2009      November 5: Oral presentation at the 136th APHA (American Public Health Association) conference in Philadelphia, Pennsylvania, topic was “Living with disability: Alternative strategy for an old mother to be led by her daughter with cerebral palsy

2010      February 16: my mother passed away

2010      March: “Insisting on Community Based Physical Therapy” published from Kobun-do, wrote a column titled “Living in the United States in a Powered Wheelchair” (pp. 401-402) in this book

2010      September 16: Nobuhiko Kadooka published “Crabs Walk Sideways: Half a Century of Independent Living by People with Disabilities” from Kodansha, I appear frequently in Chapters 1 through 4

2011       March 11: Great East Japan Earthquake

2011       March 16: Oral presentation at the California State University, Northridge (CSUN) Center on Disabilities’ 26th International Technology and Persons with Disabilities Conference in San Diego, California, topic was “Utility of Wheelchair Seated Posture Measurement Based on ISO 16840-1”

2011       April 17-20: visit Kiyoharu Shiraishi and his team in Koriyama City of Fukushima with Toshihisa Fukunaga, went to Minami-Soma City and Iidate Village to see firsthand the realities of the disaster hit areas

2011       May 11-29: Kiyoharu Shiraishi called on me to support him in in his activities, returned to Fukushima to help him as a representative of JDF Disaster Area Support Center for People with Disabilities Fukushima

2011       June 12: invited to speak at the symposium “What We Can Do Now: Report from People Who Have Documented and Aided in the Great East Japan Earthquake” at the Minoh Culture and Communication Center

2011       July 30 invited to speak at the symposium “What Does It Mean to Have a Truly Safe and Secure Life: From the Point of View of People with Generalized Physical Disabilities” by the Association Demanding Life Security for People with Disabilities (Shougairen) at the Tokyo Metropolitan Sports Center for the Disabled, presentation title “Where Have All the People with Disabilities Gone?” about my activities in Koriyama City in Fukushima and the need of Visitability

2011       August 24-26: Oral presentation on the barrier found in Japanese airline transportation at the 26th Japanese Conference on the Advancement of Assistive and Rehabilitation Technology (JCAART) in Osaka, made closing remarks on the topic of Visitability and assistive technology

2011       August 28-September 2: Returned to Koriyama City in Fukushima to aid JDF Disaster Area Support Center for People with Disabilities Fukushima

2011       September 17: Oral presentation on the human rights violation of people with disabilities in the areas affected by the nuclear power plant disaster in Fukushima at the 17th Congress of Child Neurologists of Mediterranean in Piran, Slovenia.( http://www.cnm2011.eu/programme/)

2011   Octber 15: Invited lecture at the symposium organized by General Incorporated Association Fronteer. “What we have to learn from Disaster Area: Network, technique, infrastructures to prepare for future disasters.” At Shijonawate Fukushi Community Center, Shijonawate, Osaka, Japan.

2011       December 6 – December 11: Returned to Koriyama City in Fukushima to aid JDF Disaster Area Support Center for People with Disabilities Fukushima.

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