Archive for the ‘未分類’ Category

相模原事件の報道に思う

2016-08-21

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2016年7月、障害者施設に元職員が侵入し「障害者は生きていても仕方がない」」「安楽死させた方がいい」と大量殺人事件が起きた。こういう事件のたびに、マスコミは犯人探しと犯人の異常性をクローズ アップした報道に躍起になる。そしてこの報道で、人々は自分たちの生活とはかけ離れた残忍な事件なのだと錯覚する。だが「障害者殺し」は想像を絶する別世界の問題でも、悪意に満ちた人だけが起こす出来事でもない。

ごく普通に多くの人々が抱く障害に対する否定的な感情やそれに関連する価値観~例えば子供ができたら「男女どちらでも健康が何より」だとか、歳を取ると「いつまでも若々しく」「迷惑にならないように」とか、私たち障害者を見れば「あんな姿にはなりたくない」とか~誰もが「常識」と信じて疑わない「ものの見方」の根底に、生命の尊厳と人間の誇りをズタズタにする原動力が宿っている。それが、障害児を分離教育に追いやり、障害者を施設で一生暮らすことを余儀なくさせ、老化に伴い介護が必要になると施設が終の棲家だと人生を諦めさせる。だが施設は誰もが好んで行くわけではない。その閉鎖的な空気や息が詰まりそうな生活、日々の人間関係は一般社会の差別の縮図そのままであり、そんな現実を皆知らない振りをする。

私はかつて養護学校高等部で全寮制のいわゆる施設で3年間暮らした。その入寮初日、先輩が私の姿を見るなりこう言い放った。「あなたは自分の立場を知りなさい。あなたは脳性麻痺だから、動作も遅く時間も守れず、何も満足にできない。私たちとは立場が違う。だから、仲良くなろうなんておこがましい。自分は周囲の足を引っ張るだけの存在と自覚しなさい」
障害者だけを集めると、その狭 い世界の中で能力主義=少しでも健常者に近い者が上位になり、その序列は時に健常者の想像を超えて厳しいものになる。ある先輩はそんないじめに耐え切れず家に帰りたいと寮から抜け出したのだが、「脱走だ」と山狩りのあげく連れ戻された。このように施設を含む社会のあらゆる場に蔓延する障害への否定的感情~健常者中心の考え方こそが、施設というものが作られ成り立つ大きな理由であり、このポリシーは施設に一貫している。

当時民生委員だった祖父が他の委員たちと慰問に行ったら「なんと明るい」「ここの子は幸せだ」「恵まれている」と 口々に言っていたそうだ。「たまに覗く」くらいでは見えないものが一杯ある。まして施設に追いやってしまった家族は、そこで何が起きているのか、目を背けず現実を見ることができない。

そもそも施設の存在自体が、障害者を一箇所に集め死ぬまで隔離・管理することを暗に認めてしまっている。手間のかかる、厄介者は面倒を見切れないから「切り捨て・隔離」することで成り立つ私たちの「快適」な生活こそ、今回の事件の下敷きになっているのでは。「障害者にはなりたくない、障害者はいらない」が前提の社会に在って、このような事件は起こるべくして起きたことかもしれないと思う。

3・11以降、放射能の健康被害について、国や東電、学者や医師らが因果関係をはっきり認めないので、私たちは不安を払拭することができない。そんな中でチェルノブイリのドキュメンタリーなどを観て、たびたび登場する奇形児や障害児に「障害児や奇形児が生まれる」から「原発はだめ」 と思ってしまう。こうして原発反対はいつの間にか「障害児が生まれることはだめだ」にすり替わる。これは新しい命を宿した女性を「子殺し」へ駆り立てるかもしれないと危惧する。お腹の中にいるときから区別することなく、殺すのではなく、どの子もみな産み育て、誰もが共に生きて行ける社会でなければ。
心の奥に根深く宿る、人を役に「立つ」「立たない」 に分ける価値観の呪縛から解放され、新しくお母さんになる女性たちを心から祝福できる社会をめざし、みんなで一緒に考え、歩み始めたい。

2016年1月7日~13日、辺野古に行きました。

2016-01-27

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1月7日~13日、辺野古に行って、日本がはじめて、全額を自国の税金を使って自国に米軍基地を建するのに反対しにいってきました。名護に向う高速道路のサービスエリアでトイレをしていると、激しい機関銃の乱射の銃声がしたので、慌てて外へ出て、眼前の売店のおばちゃんに何事か尋ねました。すると、近所に射撃演習場があって、「こんなの毎日です。そこに「流れ弾注意」と言う看板がある。実際流れ弾が車にあたったこともあった。」のだそうです。あの射撃音はすごく至近距離に感じて、「ああ、j障害者はこうやって真っ先にころされるんだなあ」と実感できる体験でした。タイムス沖縄

 

 

琉球新報

正代さん、6月25日、関西電力株主総会で発言

2015-07-07

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発言する 古井正代さん
(6月25日 関西電力株主総会にて)原発事故が起こったら、障がい者 は逃げられない!
福島の事故の時も、取り残され、餓死した障がい者たちがいるのです。

福島では、稽留流産という診断名のもとに、胎児が闇から闇へと葬り去られていると聞きます。
母親を命の選別に駆り立て
原発事故が優生思想を惹き起こしているのです。
事故は必ずあります。
障がい者は死んでもいいというような原発はいりません
もっと優しいエネルギーを、社会を!!

以下は、その場に居合わせた方の感想です。
涙が出ました。壇上の人(八木社長以下、関電役員)も顔を歪ませてました。少しは人の心を動かせたと思います。でも、すぐまた、彼らは、ロボットにもどりました。
投稿 松尾

いとしのタカッサン

2014-02-11

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日本の障碍者運動のはじまりは東京

日本で初めてできた東京の光明養護学校の卒業生が文芸活動など通じて「しののめ」という会を作り集っていた。この集まりが1957年に結成された脳性まひ者による組織「青い芝の会」の母体だったといわれている。「脳性まひ者は他の障碍者団体に行ってもなかなか相手にされない」「将来は政治的な圧力団体を目指したい」と初代会長が当時の会報創刊号に書いているという[寺田2002年]。東京を中心とした生活要求型の青い芝の会の運動は1963年から1968年まで国立障害者リハビリテーションセンター等の施設内での処遇改善や整形外科医の治療を要求し座り込んだりしていった。

 

次に神奈川が注目され

1962年に、茨城県つくば市に住む 閑居山願成寺住職の大仏 空(和尚)は自分の寺に、在宅の脳性まひ者を集めて、共同生活の中から自己主張と生きる力を育もうと、共同体マハラバ村を開いた [横田2002年] 。 横田弘の言葉を借りれば「脳性まひ者で何が悪い!世の中に完璧な人間なんかいないのに、なぜ脳性まひ者だけが差別されるのか、おかしいじゃないか」という思想を得た脳性まひの男女たちは、やがて結婚して共同体から自立していった。「青い芝の会」神奈川県連合会は横浜市や川崎市などに移り住んだ彼らによって1969年に始まった。最初は親睦会だったが、翌年に横浜で起こった母親による障害児殺し事件への同情から起こった減刑嘆願運動に対する危機意識をきっかけに、「母よ、殺すな!」「障碍者は殺されて当たり前か?」と当事者として歴史上はじめて異論を唱え、厳正な裁判を要求した。これは「殺される立場からの告発」として注目をあび、その様子は1971年にNHK「現代の映像」で「あるCP者集団」としてとりあげられ、映画「さようならCP」も制作され1972年2月には上映運動が始まった。

 

その次に姫路のタカッサン

その次に姫路で澤田隆司さん(愛称:タカッサンと略す)が作ったグループリボンが大きな流れを引き起こした。1972年に家から出ることもなかった障碍者が在宅から外へ出ていくことをめざしてグループリボンを作った。当時は、学校を出ても就職もできず、進学もできずタカッサン自身も含め親の家で孤立していた。そういう境遇の在宅障碍者が、まず外へ出ていくことだけでも障碍者運動になるのだ!ということをタカッサンが先頭をきって始めた。これ自体が大きな冒険だった。なぜなら、タカッサンは全面介護の要る障碍者で、立派な文章も書けず、しかも、しゃべって音声で意思を伝えることはしない。文字盤を使うタカッサンが代表でグループを作ったというのが、今までと違っていた。障碍者運動とは、いちばん健全者から遠い人が楽しく生きていくということが目的で作られたはずなので、タカッサンが中心で何の不思議もなかった。これに対しては、今までの青い芝の運動の中心だった関東の人たちからは「自分のことができるものが中心でなかったら、介護者が必要になる」そうすると「健全者が運動の中に入ってくる」から、余り賛成できないと言われていた。だけど、タカッサンは、「自分たちが中心でなかったら、ほんとうの障碍者の解放はできない」といって、今に続くこの運動の基礎を作った。

 

タカッサンの一言が看板を引き継ぐ

タカッサンがそれを突き通したから、冒険心一杯で「楽しく外出している」光景の映画を自主制作することをグループリボンの日常活動にしていくことになった。やがてそれが関西テレビの午後の番組の特集に取り上げられ、そのテレビをお茶の間で見ていた、大阪や神戸の在宅の障碍者たちが、「一緒に自分たちも外へ出たい」といって、たくさんの在宅障碍者が集まっていって、グループリボンが半年でいっぺんに大きくなって姫路・神戸・大阪の連合会になった。テレビを見て来た人の中に松井義孝さんもいたが、松井さんも言葉がすごく聞きとりにくかった。健全者が無視しようと思えば、いとも簡単に無視できそうだったが、無視されても、繰り返し、繰り返し食い下がって、肉声を聞かせ「通訳」や「字幕」を生涯拒否し続けた。自主制作映画でタカッサンがゆっくりした文字盤で会話するシーンを通じて伝えたかったのも「常に親が代弁するのが当たり前」だった当時の常識への挑戦である。自分達のペースの自己主張の大切さを世に認めさせたいという意志の発露にほかならない。

グループリボンができたころ、それを聞きつけてやってきた当時の関東の青い芝の会(横塚さん、寺田さん、若林さん)から「そんなに脳性まひ者が集まっているなら、そのグループを青い芝の会にしないか? そちらの方が、人数が多いのだから、組織の名前は赤い芝でも黄色い芝でも、変えてもいいから一緒にやろう。」と言ってきた。タカッサンが「青のままでいい」と言ったので、いまに続く「青い芝の会」の看板を引き継ぐことになった。

1967年東京の施設(久留米園)入所者の学習会で生まれたテーゼ「人間の生きる権利と自由は、まさにそれ自体として尊ばれ、守られるべきであり、能力の程度等によって割引されてはならない。そして重い障碍者こそ、この人間の生きる権利の最も端的な生きた具現者である。」が5年後の1972年になって青い芝の会の運動方針に盛り込まれた[寺田2002年]という事実は、タカッサンが作ったグループリボンに始まる関西の大きな流れが当時の歴史を刻んでいたという何よりの証拠でもある。

 

究極のコミュニケーションの達人

タカッサンは、私が小学校2年で出会ったとき(当時タカッサンは中学生)から、文字盤を使ったコミュニケーションだった。しかし、その文字盤がすごくゆっくりで、なかなか伝える言葉の内容や量が限られていた。だからこそ、その言葉の足らない分たくさんの想念が、非言語的手段のコミュニケーションが総動員されて、たくさん伝わってくる。それに加えて、タカッサンには持ち前のたぐいまれな包容力、気配り、大きさといった人間力がある。その結果、相手を完璧にタカッサンのペースに巻き込んでいくのが、タカッサンstyleだ。このコミュニケーションが人世経験を重ねるごとに上手になっていった。こうして、タカッサンの熟練したコミュニケーションスキルは、二次障害の頚椎症で文字盤を指すことさえできなくなっても、さらに洗練され、卓越した「コミュニケーションの巧」の域にまで達していったように感じる。このタカッサンstyleは、今までの社会運動史上前例のない、いわば、素っ裸の「丸投げ」スタイルともいえる、何人たりとも追随を許さない独自の世界を作り上げた。[古井2010年]

 

タカッサンと松井さん

健全者のペースに全くと言っていいほど合わせようのない、音声言語をしゃべらないタカッサンと言葉が出にくい松井さんの二人には、関わった多数の健全者の意識(障碍者自身の意識も)を「理屈抜き」で変えてきたという共通点がある。法律や制度を変えれば、確かに生活や社会はある程度は変わるだろう。しかし、どんな状態の人に対しても差別せず人間の魂への畏敬の念を持ち続けられるか、人とどう接し、どう関わるのかという、人間としての姿勢や生き方は、利害得失や効率を重んじる合理性とはまた別の問題だ。共感抜きの言語表現による理路整然とした理屈だけでは、切れば血の出る生身の人間の態度や振る舞いを根底から変えることなど到底できやしない。タカッサンの横にいると、だれもがタカッサンの心象を疑似体験してしまう一瞬がある。これこそ、われわれが世界の障碍者に誇れるタカッサンstyleが作り出す、介護・被介護の非対称的性を逆手に取った、すばらしい関係だ[古井2010年]。 健全者に媚びを売らない、売りようのない立場を活用し、だからこそ生じる介護者の内発性を誘い、障碍者個々の独自性を最大限に配慮した介護をさせてしまう。健全者教育として介護者と最もいい関係を作りながら、今日まで運動の歴史を重ねてきのだろう。

 

なぜなのか?

このようなことが可能なのはなぜなのか? ペラペラしゃべる健全者とは対極のエッセンスのみの意志表出のこの二人は、共通の障碍者差別や優生思想に対する動物的な勘ともいえる第6感のようなものが鋭かったように感じる。「これはダメ」「これはおかしい!」何か想定外のことが起こると、いつも瞬時に「胡散臭さ」を嗅ぎ分けて、峻別してくれていた。さらには、タカッサンは自分たちに重要でもない内容が延々と続くと、きまって居眠りをはじめた。これを見て、そのような議論は早々に切り上げるべきだと確信できたので、もっと必要なことに時間を向けられて、本当に助かっていた。和歌山闘争の時も、砂子療育園の差別事件の時も、車椅子の教師をつくる運動のときも、川崎バス闘争のときも、兵庫県の「不幸な子供を産まない対策室」抗議の時も、優生保護法改悪阻止、養護学校義務化阻止の時も、周辺情勢やいろいろな思惑とは無縁の、タカッサンと松井さんの明快な見識が70年代の関西青い芝・全国青い芝のみんなを直接行動の決断に導いたと言っても過言ではない。選択に値する情報がないから(議論はパスして)居眠りする、こんな方法で、簡単で本質的なことをいつも気づかせてくれていた。

 

最後の叫び

そして、近年では、2008年の年末に産科医療補償制度のことで、二人の怒りが頂点に達し、さらに横田弘さんとも久々に一緒になって、厚生労働省に抗議しに行った[Furui, M. 2009]。松井義孝さんは、持病の喘息の悪化で10年近く自室を出たことがなかったにも関わらず、抗議行動の最前列を担い、帰阪後1ヶ月後に帰らぬ人となった。

タカッサンは、2013年10月27日に西宮で開催された、原発事故後に解禁された母体血検査に潜む優生思想について考える「母体の血を覗き見て」の集会に来てくれて、「私たちは優生思想と闘ってきたよね!タカッサン」との呼びかけに「ウオー」と答えてくれたのが、本当に最後の叫びになってしまった。この集会での叫びから4時間後に亡くなったのだ。最後の最後まで、壮絶な人生を生き切ったタカッサン!! 残された我々に託した想いは、いま、タカッサンに現在まで関わっていたり、過去関わったりしたたくさんの人達の魂の奥深くに宿っていて、必ずいく道をてらしてくれている。考えてみれば、すでに何人の人がタカッサンに世界観や人生を変えられてきたことだろうか。

          タカッサンは永遠不滅です!!

 

 

参考文献

寺田純一 [2002年] 「青い芝と43年」 『自立生活運動と障害者文化』(編)全国自立生活センター協議会, p196-200. 現代書館, 東京.

横田 弘 [2002年]  「やっぱり障害者が生きていることは当たり前じゃない」『自立生活運動と障害者文化』(編)全国自立生活センター協議会, p271-279. 現代書館, 東京.

古井正代 [2002年] 「電動車椅子を使いながらアメリカで生活して」『地域理学療法にこだわる』(編)日高正巳,p401-402. 文光堂,東京.

Furui, M. [2009年] Exposing the flaw of the Obstetric compensation System from the one who “should not exist” Women’s Asia 21Voces from Japan, no22(April 2009), p26-30. Asia-Japan Woman’s resource Center.

 

母体の血をのぞき見て~母体血検査と原発

2013-12-20

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この文章は2013年10月27日に兵庫県西宮市男女共同参画センターでおこなわれた「母体の血をのぞき見て」という集会で私が「母胎血検査と原発」というテーマでおこなった講演の内容を基に文章にしたものです。
下にそのときに録音した音声も投稿しております。


人災による悲劇と、そこから起こるさらなる悲劇

国会の原発事故調査委員会が「明らかに人災」とした悲劇的な事故ですが、
この人災という言葉は重く私たちにのしかかってきます。原発を推進してきた原発村と政府、
さらにはその利益を無頓着に享受してきた私たち国民。この事故は悔やんでも悔やみきれません。
私は悲劇がこれだけでは終わらず、
今後、新たに「人の起こす災い」を生んでしまうのではないかと危惧しています。
この危機感は原発事故後に導入されることとなった母体血検査により現実味を帯びてきました。
「直ちに健康に影響はない」という違和感がある放射能の呪文は、
暗に「将来にわたっての不安」を彷彿とさせます。
その不安のもとで出産を迎えるお母さんは、命の選別を迫る母胎血検査を受けずにいられるのでしょうか・・・。
私には母親達が無意識の優性思想により苦悩し「子殺し」を選ぶ未来が頭に浮んでしまいます。

被曝が誘発する優性思想

私は原発事故自体が優性思想を爆発させる仕組みを内包していると考えています。
その仕組みとは放射能の不安から始まります。放射能は目に見えず、その影響も目に見えません。
目に見えないからこそ不安になるのです。「漠然として理解できない不吉な予感」それこそが不安であり、対象のない予感では対処する方法はありません。対象物を見つけ恐怖に変ることで初めて対処することができるのです。ですから私たちは安易に恐怖の対象を探してしまいがちなのでしょう。
被曝や原発事故の不安はどの様な恐怖に変るでしょうか?
原発事故の人体への影響について考える時、一番はじめに思い起こされるのはチェルノブイリでしょう。
国連総会でも上映された「チェルノブイリ・ハート」という2003年のドキュメンタリー映画では映像と共に先天性の奇形児や障害児が増えていると紹介されています。原発事故・被曝はこのイメージが強いと思います。
そしてそのイメージは恐怖の象徴のように語られます。
そこに障害者を産み育てることへの不安も加わり、子供への障害が恐怖に変わってしまう。
ここまでくれば優性思想へ向かう道のりができてしまいます。
原発事故がきっかけで起こる被爆への不安が障害への恐怖に変わり優性思想につながるのです。
そこに追い打ちをかけるように国の「直ちに健康に影響はない」という放射能の呪文と
開示する情報の不透明さが不安をあおり、動植物の奇形や奇形児・障害児を反原発の中心におく一部の反原発運動もその助けになっているように感じます。
さらに付け加えるなら障害者を産み育てることへの不安を育む社会も加わることで福島の原発事故は優性思想を爆発させます。

命の選別はすべきではない

そのことを踏まえた上で結論からお話しします。
原発に起因する被曝の深刻な影響がこれから産まれてくる子供たちに現れる可能性は高いと言われます。
そうだとしても、皆さんには生まれる全ての命に対して共に生きる覚悟をお願いしたいのです。
生存が苦痛でしかないような子供。そしてその子供達を見守るしかない悲劇、支え続けても見通のない未来。
目を覆いたくなる不幸。
このような未来予想図が、被曝の被害として多く語られています。
すべての命と共に生きる覚悟をしていただく為に知っていただきたいことがあります。

苦痛と恐怖は誰が感じているのか?

目を覆いたくなる不幸とは?生まれることが不幸な人生とは?
考えてみてください。それは誰が感じていることですか?生まれてくる子供達がそう言いましたか?
私は九死に一生を得て生まれました。障害者として生まれ、同時に医師に余命11年と宣告を受けました。
悲観した母は無理心中を図るというのが私の人生のスタートでした。
その後、結婚し三人の子供を出産しました。子供達の参観日や行事に参加しアメリカにも住みました。
次第に動かなくなる体も電動車いすを駆使することで反原発運動にも参加しています。
私は私の生を十二分に堪能し、感謝しています。
辛いことは山ほどあります。皆さんと同じように。幸せなこともたくさんあります。皆さんと同じように。
年を重ねるにつれ身体はいうことをきかなくなり、痛みもあります。皆さんと同じように。
しかし私の人生に恐怖はありません。楽しいのです。
私は生まれることが不幸な人生などないと信じています。

切り替えるべきは頭のスイッチ

平成25年12月4日の参議院本会議で全会一致で批准が承認された国連の障害者権利条約は、「障害は個人ではなく社会にある」といった視点に基づくものです。
まさにそれが答えです。障害者にとって障害を作っているのは社会です。
生きにくさを強要されている人を葬るのでは無く、社会の障害を改善・除去することが必要なのではないですか?
日本はこれから想定外の高齢社会から急速な人口減少社会を迎えます。
お年寄りが増える中叫ばれるようになったバリアフリー。バリアがあるのは社会です。
そして皆さんも怪我をしたり、事故にあったり、年をとりその障害を背負うことを忘れないでください。
でも不安にならないでください。人生とは、どのようなスタートを切ろうとも本人には肯定し楽しめるものだし、それを否定するのは社会であってあなたじゃない。

国から暗に示される不安

【直ちに健康には影響しない】なんと不安な響きがある言葉でしょうか。
将来にわたっての健康について私は関心を持っているというのに。話したくない事情があるのか、状況を把握していないのか。ただ私たちは情報の不確かさだけを知っています。
さらに今年9月に国際オリンピック委員会総会で「福島原発の状態がコントロール下にあることを私は保証します。東京には今までもこれからも被害が出ることは絶対にありえません。」と安倍首相は世界中に向けてスピーチしました。
私はこのスピーチを聞いて率直に驚きました。私の日々感じている感覚と安倍首相の言葉には大きな隔たりがあったからです。
高濃度汚染水が漏れたり、一部の食品が出荷できないなどの現状で「コントロール下にあり被害がない」なんて言葉こそ〝想定外〟でした。
安全や安心とはほど遠い、このような不安がさらに多くの優性思想をかき立てているのです。

反原発の主張に潜む優性思想

私たちは原発の本当の恐ろしさとは何か見極めなければならないと思います。
一部の反原発運動の中に放射能汚染エリアでの奇形動植物を紹介することで放射能の怖さを表現したり、奇形児や障害を持つ子供の誕生を危惧する声があります。その様な中には優性思想が潜んでいるように感じます。
放射能の影響は目で見えない。だからこそ目に見える結果にだけフォーカスがあたりやすく、恐怖の対象となっているのではないでしょうか。
放射能による健康被害は怖いという論調がいつの間にか奇形や障害は怖いにすり替わってはいないでしょうか。

原発事故の恐ろしさとは?

原発・原発事故の恐ろしさは「不幸な子供(障害児)」が産まれることではないと私は考えます。
障害や健康被害を受けた子供達が産まれるのは親の健康が害された結果の現れです。
障害を持つ子供達が生まれるのは放射線障害の一つの結果に過ぎません。
真の恐ろしさとは親だけではなく全ての人々の健康を徐々に害し、私たちの愛するこの国の自然・風土・文化を破壊することでないでしょうか?

子供の未来を奪うのは放射能ではなく母胎血検査

そしてこのタイミングで母胎血検査です。いまはまだ特定の遺伝子しか検査をしません。
しかし将来的にはなし崩し的に拡大される可能性が高いと考えています。
今のように原発事故は収束し健康被害は無いとする国に都合が悪い事実が発生した場合は、被曝被害を闇に葬る道具として利用される可能性すらあるのではないかと恐怖を覚えます。
そもそも出生前診断とは命の選別を迫る検査以外の何物でも無い。親が検査を決断したら、検査の後に迎えるのは選別の苦悩だけではないですか?
そしてその苦悩と重荷はどのような結果を迎えてもお母さん達が背負うことになります。

私からの提言

原発事故はすでに起きました。これはまぎれもない事実です。
そしてすでに多くの方が被曝した可能性も否定できない。
将来の親とその子供達の健康が害されてしまった可能性は十分にあります。
でももう起きてしまったのです。それは覆ることはありません。
だからこそ、まずこれ以上の健康被害の可能性を避け、すこしでも危険性のある土地で食べ物を作らずに移住すること。
愛した土地を離れるのは悲劇です。しかし悲劇は起きてしまったのです。
国は汚染されていない地域へ負担なく移住できる制度を。
そしてその影響が出てしまった子供達を私たちの社会は暖かく迎え入れ共に生きる事が必要です。
今回の原発事故は国や電力会社が起こした人災なのは間違いありませんが、それを後押ししたのは利便性をもとめる私たち一人一人の責任でもあります。
今求められていることは健康被害や障害をもった子供達を未然に選別することではなく、
私達の求めた利便性の結果を図らずも背負わされた子供達、親達、子孫達を全力でサポートしていく準備ではないでしょうか?
国や電力会社や私達が、責任と苦悩を一部の人々に背負わせ「子殺し」の選別を迫る仕組みをつくり、黙殺する事にならないように、社会の過ちを私達全ての国民が受けとめる社会にしていこうではありませんか。

 

タカッサンへ

   この文章は10月27日亡くなった私の友人であるタカッサンに捧げます。
   彼は水分補給すら難しい状態で、この「母体血検査と原発」を聞きに駆けつけてくれました。
  その3時間半後 彼は息を引き取りました。

   関西で障害者運動が始まったのは42年前に姫路にある養護学校の一室で始まりました。
   彼がもつ生来の人柄があってこそ、人が集まりうねりとなったと私は感じています。
   タカッサンは温かく大きな人でした。
   その人柄を表すように彼の葬儀では介護に関わった多くの方が集まり、
  「お骨を分けるんだ」と一片も残さず刷毛で掃き集めていた。
   本当に皆に彼が大切に想われていたんだなぁと思って嬉しくなりました。
   なかなか、こんな人はいないよね。
   この集会の録音データーに、この頃ほとんど声が出なくなっていた、タカッサンの声が「ぅお-」と、残っていました。
   私たちの生存を根底から揺るがす優性思想に対して彼は最後の最後まで命を懸け戦った。
   日本の障害者運動の歴史の1ページそのものだったタカッサン。
   上手な文書が書けたり、たくさん言葉をしゃべることはできなかったが、
   その分彼の強い意志とぶれない生き様は接するもの全てに影響を与えるほどでした。
   「タカッサンお疲れ様!」

ほんとうのことが言えない社会でいいのか!

2013-08-28

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福島第一原発は放射能垂れ流し・ガレキを燃やして日本中のばら撒いて・反対すれば「ブタ箱に入れる」、これでは、まるで戦前・戦時中の特高警察や大本営発表だけが世間を席巻していたときのようです。現実の都合の悪いことは「見ないふり」ですべて先送り、ひたすら突き進むのみ、どこにいくのか誰も言わない、(怖くて)言いたくない。

関電本社前抗議!今日も関電前に行ってしゃべってきました。

2013-06-02

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    今日は、東京で原発反対の大規模な行動があるのですが、それと連動して関西電力の前でも集会をしてきました。そこで、母体血検査が原発の放射能隠しに使われかねないことをしゃべってきました。

経産省前テントひろば連続共同ハンストに参加し、62時間ハンストを決行してきました。

2013-05-20

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わたしも、障害者の立場からの主張をたずさえて、17日朝から19日までの62時間のハンストに参加してきました。311以降、わたしたち障害者が、原発いらない福島のおんなたちと出会い、全国の多くの脱原発・反原発の念いをもった人たちと繋がってきた経産省前テントひろばに対して、国が「明け渡し請求訴訟」を起こしました。これを撤回することを求め、5月16日朝から22日正午までの7日間172時間連続共同ハンストが決行されました。

昨年の5月のハンストの時はテントの中で宿泊できたのですが、

今回テント前に行ってみると、テントの周りは厳重にチェーンが張り巡らされ、車椅子では全く近づけなくなっていたのです。夜泊まることができず困ったので、経産省前テントひろば事務局の人が、急遽、霞ヶ関近くのホテルを片っ端から電話をかけ探してくれました。なんと驚いたことに、霞ヶ関界隈にアクセシブルルームは皆無で、車椅子アクセシブルな最寄りの宿舎は、新宿区の全国障害者総合福祉センター「戸山サンライズ」しか見つかりませんでした。これで、東京オリンピック誘致など恥ずかしいかぎり、日本のアクセス事情の実態を改めて思い知らされました。

国連の障害者権利条約を批准するなら、首都中心でさえアクセシブルな宿舎が貧弱だという事実が示す社会意識を根本的に覆さなければなりません。
ハンスト中に経産省テントひろばで配ったビラです。原発推進と胎児診断の関係について、全国から集まった多くに人たちと語り合うなかで、さらに理解が深まったと確信しています。

 




原発推進につながる母体血検査に反対!


従来、妊娠した女性が胎児に「異常」がないか検査するには、リスクの高い羊水検査を受けるしかなく、大変な決意と検査時の忍耐が必要でした。本年4月1日から実施された母胎血検査は簡単に受けることができ、出生前診断が容易になりました。母体血検査や出生前診断が、なぜこのタイミングで推進されるのでしょうか。

これは、実際に原発事故による放射能の影響で心筋梗塞を患って亡くなったのに、原発との因
果関係を認めようとせず、原発事故の影響を誤魔化すのと同じような事態を招きかねない危険を孕んだ問題なのです。

そればかりか、この子ども達は日本における遺伝子「異常」を持った子どもの総数に含まれず、結果的に今回の原発事故による放射能の遺伝的影響の深刻さを曖昧にする事につながります。チェルノブイリの例を見ても、放射能の影響による染色体異常は 三世代~四世代にも及ぶのが現実なのですから。放射能の代表的な影響には遺伝子の破壊があります。母胎血検査を推進する事で、遺伝子に何らかの「異常」が認められた子どもは生まれてくる機会さえ奪われかねません。  出生数として数えられなくなってしまう子ども達の無念はどうなるのでしょうか。

このままでは、母胎血検査・出生前診断が、政府や東電の未来にわたる自分達の犯罪を過小にみせる道具に利用されてしまいます。

自分達の私利私欲の為に、多くの人の暮らしを破壊した上に、反省もせず、私達の未来まで犠牲にしようとする彼等を許せません。

私達、障害者は厚生労働省や医師会に抗議文・質問状を提出しようと考えています。

みんなで反対の声を上げましょう!!

JDF被災地障害者支援センターふくしま   白石 清春

脳性麻痺者の生活と健康を考える会   古井 正代

阪神淡路大震災被災地障害者センター  福永 年久

日本脳性マヒ者協会 全国青い芝の会  金子 和弘

日本脳性マヒ者協会 広島青い芝の会  田部 正行

2013年5月17日 経済産業省前テントひろば にて


わたしの末息子が陶芸の展覧会をしますので、見に行ってやってください。

2013-03-16

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5月1日から15日まで、わたしの末息子が、京都で陶器の展示即売会 (山本太郎×古井勝 二人展) を開きます。詳しくは、下のホームページを見てください。

http://10kou.com/5_1.html

福島の人たちの人権は、今、

2012-08-13

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福島の人たちの人権は、今、この瞬間も間違いなく侵され続けているのです。私たちは原子力発電所の廃炉が地球の未来にとって重要であることを訴えるとともに、現実にはどんどん深刻化しながらも、まったく手の打たれない人命軽視や健康被害の無視について戦わなければいけないと思います。チェルノブイリやスリ-マイルの教訓が示す世界の常識から、せめても「中通り」と言われる地域に住む人たちは、その地域から避難させて、生活できるように保障していかなければならないのです。実際に、その地域に住んでいる人たちが自ら声をどこまで上げられるのかというと、ほとんどの人が声を上げられないでしょう。心のどこかでは、このままでは良くないと誰もが直感していながら、声に出すことを躊躇させる社会的圧力が強すぎます。今、現実に起こっていることを自分への脅威の問題として捉えられないような状態におかれているのです。こんな「あたりまえ」のことが「あたりまえ」にならない現実には根の深い社会の闇が伺えます。この国の近代史における障害に対する社会的態度と障害者自身も含めた人権軽視と似たようなルーツをもつのかもしれません。

 

1.役割期待

私たち障害は生まれる以前から、あってはならない存在、五体不満足な「落ちこぼれ」として位置づけられてきました。みんなの目が同情のまなざしを注ぐ対象としての「かわいそうな存在」の社会的役割だけを期待されて育てられてきました。だから、ありのままの自分を積極的に捉え自分自身の健康について考えるよりも、障害を持った身体を少しでも「健常」な姿形や「機能」に近づかせることを追い求める環境にどっぷりとつかってきました。歩けない障害者は健常者のように歩けるようになること、そのために手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させられたり、ただひたすら個人レベルで「がんばる」ことだけが期待され、自分の身体状況に関係なくそれを信じ込まされてきました。









 

 

 

 

 

内部被爆の基準値が、原発事故の後に恣意的に大幅に引き上げられました。そのうえ指定区域から住民が避難し、仮説住宅が建設された先は、ほとんどが県内の「中通り」です。全壊・半壊で「指定地域以内」でなければ被災証明による支援も受けられません。「指定地域」でなければ、移住を決意しても、他府県の公営住宅への入居さえ許されません。政府の証明が無い人たちには、いくら健康被害への不安があっても、地元に止まりただひたすら「がんばる」ことだけが期待されているのです。福島産の食品はすべて「安全」だと信じ、あえて地元の水を飲み、地元で取れた農産物・水産物を食べ続けることが当たり前となっているかのようです。「中通り」に住む大多数の福島の人たちは、県外へ自主避難しようにも、行った先の受け入れも無く、残留しなければ経済的にも生活がなりたたない厳しい現実があります。郷土を去る必要を国が認めるのは、被害のため生活が奪われた少数の「かわいそうな存在」に限定したいという政府の意図を感じます。証明も無く福島県外に移住すれば、それは郷土愛のない者とでも言われかねない空気なのです。原発事故の後に、健康被害の可能性がとりざたされても、大丈夫だと信じ込まされ地元で「がんばり続ける」人々の姿は、障害者が身辺自立に不可欠だと信じ込まされ歩行訓練に努力しつづけたときの姿と酷似しているように感じます。

 

 

2.過剰な「がんばり」の結果としての健康問題

2001年、イタリアのBottosという研究者が、まだ発育途中の3-8歳児で歩行能力を獲得する前の脳性まひの子供たちを29人集めて、個々に合わせ調製した電動車いすを与えて操作能力の向上についての介入実験を行いました。運動能力がばらばらで知的能力もばらばらな子供たちを6-8ヶ月間調べた結果、操作能力を左右したのは運動機能でもIQでもなく、「練習時間」の長さだけであったと報告しました。また、介入前後で、大きく変化したのは親の子供に対する期待で25人中21人が「運転できないだろう」と否定的だったが、8ヵ月後には25人中23人が肯定的評価で、当初否定的だった21人の親全員が「子供が活発で幸せになった」と言ったといいます。

この実験から言えることは、どんな脳性まひの子供でも、金に糸目をつけず、きっちりとエンジニアが一人ひとりにあわせカスタマイズした電動車いすを与え、練習できる機会さえあれば、電動車いすを乗りこなせるということです。子供は元来好奇心の塊なので環境や条件さえ整えるだけで、大人が気付かないようなことに興味を示し、それらに果敢に挑戦しながら自己形成が図られていったのでしょう。こどもの可能性を開花させるには、まず「挑戦させる」、そのための条件整備を「やってみる」という大人側の覚悟が必要です。

ところが、日本の脳性まひの子供たちでは、歩ける年齢になる前から電動車いす給付をうけられるのは例外的です。欧米のように校区の普通学校に統合教育するのではなく、歩行訓練や障害に応じた対応が充実している環境だと言う根拠で、特別学校に通わせたりしてきています。一般の子供たちと触れ合って遊ぶ経験の場を取り上げ、自分に対する自信や成功体験による心の成長の機会を奪い、健常児と言われている子供たちにとっても自分たちの同世代の仲間として障害児がいると言う認識が育つ機会も奪ってきました。60年前から今だに、変わらない「歩行第一主義」の歩く訓練ばかりが強調され続けています。これが、子供の人生にどのような影響を及ぼしてきたのでしょうか。「歩けなくなったらおしまい」「車椅子は敗北」という価値観を形成させ、手術をしたり、一日に何時間も歩く練習させ、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込むことになってきました。その結果は、今の40代50代60代の成人脳性まひ者が抱える深刻な健康問題を見ればよくわかります。ほとんどの人に頚椎・腰椎・股関節になんらかの二次障害がでています。最後の最後まで車椅子使わず、がんばって歩く、がんばることがいいこと、首や肩や腰が痛くても歩き続けた挙句、頚椎症などの二次障害を発症し、早い人では20代の後半から遅くても50代までには、若いときと同じように歩き続けることは困難になっています。一般の子供たちと触れ合う余裕も無い場所で育くまれた、20年後・30年後の健康問題に発展する過剰な「がんばり」に警鐘をならす多くの生き証人がいるのに、「がんばり」の刷り込み教育はなかなか止みません。

 

3.今、まず「やってみる」、それで未来は変えられる.

たしかに、40年後50年後の白血病や脳腫瘍、などの内部被爆の健康被害は今すぐに実感しにくいものでしょう。すでに、子供に甲状腺がんの兆しがあれば別ですが、そうでもなければ、環境変化の精神的負担・移住のための経済的負担を負ってまで県外移住を決意する人は多くないかもしれません。しかし、福島の子供達や指定区域外の住民は、若い日本の脳性まひ者のように、がんばって無理をすることが生きがいのような行動を刷り込まれていくのを、なんとか防げないものでしょうか?

さまざまな理由で移住したくても出来ない人を動かすには、イタリアのBottosたちの介入実験のような、徹底的なカスタマイズがヒントになります。「平等に支援を分配するため画一的な条件が必要だ」「個別ニードに対応するのは不可能」という従来型の対応では、本当に有効な移住促進策にはなりません。まず、福島県の「中通り」の子供達や住民が(政府の恣意的に狭く定めた区域指定にかかわり無く)移住しやすいような、思い切った周辺の諸条件の整備を行ってはじめて、個々の事情に合わせたカスタムメイドな対応を可能にする選択肢が用意できます。

たとえば、

l  電力会社に出資してきた金融機関の原発事故への社会的責任の一環として、子供のいる家族の持ち家の震災前の住宅ローンについて、避難移住することを条件に、たとえそれが10万円だろうと1000万円だろうと「全て平等に」無担保・無期限の凍結または棒引きとする

l  全国の空き教室を調査し、その空き教室をいくつかの校舎に集約し、中通の中学校・高等学校を全寮制学校として移住させる(出来れば小学校も)。寮には当該学校の教員を寮教師として配置するほか、寮監には地元大学等の保育・教育系学生を1-2年契約で優先雇用し、勤務経験を教育経歴として、任用中は本務校で休学扱いとする。

l  全国の自治体は移住希望者に対し公営住宅に優先的入居できるよう配慮し家賃を免除する、

l  全国の職業安定所・事業所が移住希望者を優先的に対応・雇用するよう、事業所所得税・国税の減免で誘導する

l  移住先の自治体は国保掛け金を免除し、税制上の優遇措置を講じる(国税の免除・地方税の減免)

 

 

など、移住したくても出来ない人の事情に実効性のある取り組みが必要ではないかと思います。

 

 

4.人権問題に対する軽視.

出来ていたことが出来なくなったら、職場を解雇されても当たり前だ。こんな考えを、障害者自身を含む実に多くの人が抱いています。こんなわかりやすい人権侵害に対して、疑問も感じず、何ら抗うことも無く、にもかかわらず障害者雇用促進には異論を唱えないのが不思議でなりません。障害者雇用促進を言うのなら、現職者の中途障害者を解雇させないことは当然のことでしょう。個人の「できる」「できない」が問題なのではなく、その個人が平等に働けるような職場環境の整備が不十分であることが、障害者の人権を侵しているのです。このことを、障害を理由に解雇された当事者自身が、職場や周囲に気を使い「人権問題」として捉えきれないところに問題の複雑さがあります。人権感覚とは決して目に見えない抽象的なものではありません。たとえば、アクセシビリティについて言うと、欧米では1980年代から、どんな家でも車いすで入れるトイレ、玄関の段差ゼロ、広いドアの必須3条件を満たす一般住宅しか新築を認めない都市が徐々に増えているといいます。施設主義から脱し地域社会に定着するためには欠かせないことです。一方、病院や公共施設には車いすで入れるトイレはあっても、一般家庭では隣人の家は言うに及ばず、自分の家でさえ車いすごとは入れるトイレがある家は珍しいのが日本の実情です。玄関の段差ゼロについては、銀行などいたるところ段差だらけです。日本では国際シンボルマークを掲げた駐車スペースに、我が物顔で平気で駐車していても何の罰則もありません。そのくせ電動車いすには法律で速度制限をもうけています。Bottosのように、本人に合わせカスタマイズする電動車いすで移動の自由を保障するどころか、運転免許のような試験を課して移動の自由を制限する所もあります。20年以上も電動車いすに乗りなれている私でも、調整なしで国産既製品に乗ればまっすぐ進める保障はありません。鉄道では簡易スロープの介助を理由に3-4本列車を待たせて乗せないことも珍しくありません。そもそも、ホームと列車の間の段差は人為的に作られたもので、段差なしのホームも技術的には可能なことです。航空機では国際線からの乗り継ぎであっても、国内線で乗車拒否をします。ある美容院では「会社の方針だ」と車椅子ユーザーを一切拒否し平然としています。個人の行動・移動の自由が基本的人権の一部だという国連の文言があっても、日本では、仏作って魂を入れずで、形骸化させても恥ずかしくないのでしょうか。私たちの行動・移動の自由が基本的人権として保証されれば、ベビーカーもシルバーカーやトランクを持った旅行者など、全ての人の行動・移動がより自由になるはずです。 そう考えると日本では、そもそも、障害者を含めた人間の尊厳や人命の尊重という意識自体が根本から希薄になって、誰も生き残れない社会に向かっているように思えてなりません。

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